「おあー!ざいぜんひさしぶ」
バタンッ
郵便配達人だという声にしぶしぶ扉を開けたら、見知った顔がふたつ並んでいたから、直後扉をおもむろに閉ざした。と、言うわけでこれから惰眠の続きを貪ろうと思います!と決意してあくびをかましたあと踵を返したら、おいおいおいおいとかちょっと財前とかいうけたたましい声とともに盛大なノック音が響いたので本当にいやになった。なんでこいつらはいつもこういう感じなのか。サプライズで全人類が喜ぶと勘違いしている人種はこれだから困る。しかしまあ、俺がサプライズで喜ぶと思うほどおめでたいやつだと思われてるだなんてことはせめて考えたくないから、だったらまあ、結論ただの嫌がらせということになり、最終的に腸がこの上なく煮えた。俺は扉のチェーンをかけると、仕方なくドアのレバーに手をかけ、それはもういつくしみあふれる眼差しで扉の隙間から二人を確認する。
「おー出てきた出てきたー!」
「元気そうやなー、なによりやわー」
…なんでほんなにうれしそうなん。てか、こんなに近いのに手とか振らんでええからマジで。
「…あの…、うるさいんで、いっぺん死んでくれませんかね?先輩方」
「うわーお……鋭利やな、相変わらず」
「あっはは、悪かったなー財前、こないに突然」
「自覚はあんねや…終わっとりますね、ホンマいっぺん死んで下さい」
「いっぺん死んだら蘇らへんぞ!どーや、さみしやろ!」
「…いや?ぜんぜん?」
バタンッ
と、言うわけでこれから惰眠の続きを貪ろうと思います!と決意して再びのあくびをかましたあと踵を返したら、今度は扉の向こう側がしんと静まり返って気持ちが悪かった。…なんやねん、さっきまであんなに騒がしくしとったくせに。諦めたか?まあ、そんならそれで、こちらとしては助かるけれど。
「………」
結局また扉の傍へ舞い戻ったのは、決して寂しかったからとかテンドンを期待していたからとかそういうわけではない。ただ、少し、いやな予感が首筋を伝ったからである。今度は威勢よくチェーンを外し、扉をさっきより奥へ押し遣る。高速移動できるととかいう馬鹿げた特技を持ち合わせているのはとりあえず1人だけなので、心配はしてなかったけれど、二人はさっきと同様の位置で扉の前に佇んでいた。しかし、その視線はこちらではなく、階下へ向かっている。なんなんだ、と二人の視線を追うと、そこには、『仰天』と書いた顔でこちらを見上げるが佇んでいた。片手には、この前貸したCDアルバムと、音楽雑誌。
「な、なにこれ、イケパラ!?」
「……どなたさん?」
「……財前?」
「ッアー………」
頭を抱える俺の脳内には財前光嫌いな言葉ランキング栄光の1位を飾る「面倒」と言う二文字がひとしきり、たのしげに踊った。
さ ざ め く ス ト レ ン ジ ャ ー
「いやー…驚いた…、上の階覗いたら扉周辺が輝いていたもんだから」
「そういう大袈裟なのいいっすから」
「大袈裟じゃねーよ、扉から半径1メートル圏内の顔面偏差値すごいことになってたよ?」
「…あのヒヨコじみた先輩にそれ言うたら調子乗るからやめて下さいね、絶対」
「てかそれ言われて逆に調子に乗らないもう片方の神経を疑うね!?まー超絶美青年だから仕方ないか…」
先輩達が勝手きままにさんを(俺の家やで)招き入れたので、お茶の準備を手伝って貰いがてら、注意喚起のような指南のような釘をさしてはみたけれど、まあ言うまでもなくその釘は糠のようなものに突き刺さる結果と相成った。…クソ。このままわきあいあいとされてここに長居される顛末になるのは避けたい。なんせ明け方までオンラインゲームに興じてしまったから寝不足である。今日は一日休みだからと羽目を外したのに、とんだ誤算だ。あと、ストックしておいた綾鷹が不意な来客とやらで在庫切れになるのもなんだか釈然としない。こいつは甘いものを食べるときに大切に消費するつもりだったのに。
「とにかく、長居されたないんで、協力して下さい」
「えー?いいじゃん、遠路はるばる来たんだから、付き合ってやりなよ」
「生憎、家で小一時間好きに遊ばせてやる以上の思い遣り持ち合わせてないんで」
「……先輩だって言ってなかった?」
「…この世に発生したのが1年やそこら早かったくらいで、偉そうにされましてもねえ…」
「あれっ?おかしいな、私、喧嘩売られてる?」
ああそうか、
そういやこのひとも一個上だった。ご丁寧に「さん」付けで呼んでるのは、そういえばもともとそんな所以だった気がする。失念していた、と言う色が瞳に滲んだのに気付いたのか、さんは眉を顰めて抗議めいた視線を寄越した。見て見ぬふりをしながら俺は、グラスの乗っかったトレイをけだるく持ち上げた。
「…飲んだら帰って下さいね?」
「財前……、それがせっかく会いにきてやった先輩にする態度かあ?」
「いつ頼みましたっけ、あと、来るなら前もって連絡くれ言うたと思いますけど」
「今朝思い立って来たからなあ?謙也」
「せやせや!どうせ朝連絡したところで、財前寝起きで機嫌悪いやろと思て!優しいやろ!」
寝起きの機嫌悪さを配慮して、唐突に訪れ機嫌を損ねるのはとても頭のいい人のやることとは思えないのだが、どうか。とグラスをテーブルに置きながら悶々と考えていたら、どっちもどっちじゃないかな、それ、と小さく突っ込む声が後方から響いたから、俺は心の中で強く賛同して見せる。この二人と比べたら、さんはそれなりに正当な感性を持っているようだったから助かった。出来ることならば、もう少し大きな声で主張して頂けるとありがたい。
「…で、ちゃんはいつからこいつと付き合うとるん?」
「えっ?あ…はい?」
「びっくりしたわ、カノジョいるなんて一言も言うてなかったやろ、財前」
「言わなあかん義務もあれへんし、まずカノジョやないですから、あと、のっけから慣れ慣れしすぎやないですか」
「ええやんか、タメやんなあ?ちゃん」
「う、うん、まあ…」
「……謙也、引いとるやろ、さん」
レアだ。が引いている。そういえば、最近互いに厚かましくなって来たから忘れていたけれど、このひとも最初のころは割におとなしく見えていたような気がしたことを思い出した。引っ越してきたばかりの頃の、控えめな会釈が頭を過ってはかなく消えて行く。…人を見かけで判断するなかれ。…否、蓋を開けてみれば、人間なんて大概そんなものなのかもしれない。
「……スゲーなあ、大阪人」
また聞こえないような声でひっそりと落下した一語は、実にらしくて俺はそっぽを向きがてら、小さく吹き出した。捉えようによっては失礼であることを、さんは定めて気づいていない。
「エエなあ、財前…、お前昔っからモテてたもんな」
「…財前くん、この人耳ちゃんと機能してない系男子?」
「ちゃうちゃう、この人はアレや、超みじめ系男子」
「……謙也、不名誉なカテゴライズされてんで」
「うっさい!こちとら最近別れてセンチメンタル系男子やわ!」
「あー、別れたんや、ザ・コットンキャンディーと」
「それはご愁傷様系男子だね?忍足くん」
「……ちゃん、楽しなって来てるやろ?」
会話の途中から白石先輩が断続的に笑い初めて、そのままなんとなく室内が和やかなムードに包まれた。まずい兆候だな、と俺は思いながら、お茶をぐびりと咽喉へ追い遣る。しかしまあ、順風満帆のように思えた謙也さんとその恋人ザ・コットンキャンディーが別れるとは、どうでもいいけど少々意外だった。この様子からすると、謙也さんのほうががフられたのは明白だろう。ザ・コットンキャンディーはふわふわした見た目と性格から俺が拵えたあだ名のようなものだったけれど、そんなあまやかな彼女が謙也さんをどんな風にフッたのかうまく想像が出来ない。多分彼女も、見た目からは想像出来ないような激しい部分を持ち合わせているのだろうと俺はぼんやり思案した。
「せやけど、ご近所さんにしては随分仲良さそうに見えるで、二人」
「せや、なんやちゃん台所使い慣れてる雰囲気やったし」
「そら間取り一緒やから当然っしょ、考えて下さい謙也さん、ほんの少しでいいですから」
「あ、そっか、ホンマや……」
「うーん、そうですねーなんというかーわたしたちはー」
「うん?」
さんが唐突にこちらの関係性を自分の言葉で露呈させようとしてきたからぎょっとした。
(なにを…)
いやそんな、悩むような間柄でもあらへんやろ、と内心突っ込みながら、何故だか少し心臓が沸いたのはこの上ない不覚である。
「…CDアルバムを借りて、その対価に飯を炒める…、そんな関係です」
「……………………うん、せやな」
「…へ、へえー…」
「…な、なるほどなあ」
この二人が引くのもまたレアだと思いながら、俺は落胆と呼べる塊をお茶と一緒に流し込む羽目になった。確かにまあ、それ以上でもそれ以下でもないとは思うけれど、片陰、そこはかとない釈然としなさを感じてしまう自分は一体全体何なのか。
「お似合いに見えるけどなー、二人」
ふと継いだのは、率直で真面目なことだけがとりえの白石先輩である。そういう発言が次第によれば場の空気を変質的なものにすることを、この人はたぶんまったく気づいていない。俺は嘆息ののち、履き捨てるような言葉をローテーブルの向こう側に送った。
「「いや、そういうのいいですから」」
自分の声のトーンより上の音階で、同じ台詞が耳を叩いたからぎょっとした。するとまあ案の定、声の主も大層驚いた様子でこちらに視線をぶつける。しばたたくタイミングも、直後、苦虫を噛んだような表情に一転する瞬間すら同じに思えて、如何ともしがたい気恥しさが胸を擽った。
「………もうおまえら、付き合おうたら?」
恨みがましい声で響く謙也さんの声がいつもにも増して鬱陶しい。その横でうずくまる、白石先輩のくつくつ言う笑い声も、また。
「………本当、先輩ら、ウザいっすわ」
それからややあって、ふと時計を見上げたさんが唐突に、すっくと立ち上がる。よく見れば、長針は数字のすべてを示し終わり、すでに元の場所へ戻っていた。
「…じゃあ、私はそろそろ帰ろうかなー」
「え、ホンマに」
「うん、もともとCD返しに来ただけだったし、長居するのもアレかなって…」
「そっかー、残念やな」
言うに事欠いて残念とはどの口が。もともとアンタらの家やないやろ、と思うけれど、ここで水を差すと、『ほなら俺らもそろそろおいとましよか』の流れにならない気がしたからグッと我慢した。多分この起立はさんなりの配慮に違いないから、それをなし崩しにしてしまうのも悪い。そういえばもはや瞼の重みはどこかに消え失せたけれど、鬱陶しいし面倒であることに変わりはないので、これで良い。
「せっかく美味しいいちご大福と三笠買うて来たのに…」
「「!?」」
言いながら、謙也さんが見覚えのある包みをポンと机の上に乗せる。そこには、堺にある有名和菓子店の名前が踊っていた。そこのいちご大福は無類で、いつかもういやという気持ちになるまで食べ続けてみたい、と思う程度には俺の好物だった。
(………そうきたか)
「あー…………」
ぼんやりとした声をあげて、さんがふたたび腰を下ろす。なんてわかりやすいんだろう、と呆れそうになって、まあ自分だったら同様の対処しかできなかっただろうと思い直し、彼女に貼るレッテルを考え直した。
「…そういうんは来て早々渡すもんちゃいますかね」
「かわいないな、お前は本当に…」
「かわいなくて結構っすわ」
「まあかわいないのが財前のかわいいところやからなー」
「あ、なんかそれ分かるかも」
「…さん、ちょっと黙っといて下さい」
多分これで綾鷹のストックは底を尽くと思うけれど、まずまず本来の使い方が出来たからまあよしとしよう。
…と、妙に寛大になっていたこのときの俺は考えもしなかった。大福と三笠を食べきったのち、先輩方がさんの炒めた飯とやらを所望しはじめ、何故かゲームを行う流れになり、結局朝まで居座ることになるという不幸を。
「黒いちごと白いちごと三笠、…ひとつずつ貰って文句ないですよね?」
「いや、知らねえよ…ってか財前くん…それは許可じゃなく、脅迫だから」
|