年末年始に実家に帰る風習の意味がわからない。12月31日が1月1日になるのと、7月15日が7月16日になることに何の違いがあるのか。何かに区切りをつけたりしきたりを重んじる建前を繕って、ごちそうを食らい酒を飲む口実を大人たちが勝手気ままに当てはめているように感じるのは、まだ俺がビールよりコーラのほうが数万倍美味い、と感じるガキだからなのか。否、単なる面倒臭がりだからだろう、と人は言うけれど。

「……んー」






まるもち



とりあえず年末年始の帰省行事の問題は終わったことだから年末まで部屋の片隅に捨てておけばいいとして、今考えるべきは目前に広げられた白くて丸い物体の群れをどう処理するか、と言うことに尽きる。割にスカスカだった旅行用鞄がパンパンになるまで何を詰め込まれたかと東京に戻って開いてみれば大半は食糧の類だった。食いきれへんて、痛むって、とは思うけれど、未だ仕送りまで貰っている身として、何でも施すことが優しさや思うんなら勘違いやで、と是正するだけの力を俺は持ち合わせていない。インスタント系は消費を後回しに出来るしどちらかと言えば助かるのだけど、強敵は生物だ。とりわけ炭水化物は、一度に大量消費出来ないのも相俟ってカビ候補生甚だしい。実際、去年この丸餅は、タッパの下のほうからカビにやられて全滅したのだった。

(あー…)
(もう11日か)
(やばいな、大概)

ふとカレンダーを横目で見た俺は、日付の下にもとから書き加えられている行事予定に目を留めた。『鏡開き』。関西ではもう少し遅くなかったか?とあてにならない疑問符を浮かべつつタッパの蓋を閉ざした、と同時に、下の家の玄関が開いて、閉まる豪快な音がかかとに響き渡る。201号室、が帰宅したらしい。別段聞き耳を立てているわけじゃないけれど、聞こえてしまうから仕様がないし、聞こえてしまうから生活サイクルがつつぬけなのもまあ仕様がない。きっと向こうも同じことを考えているだろう。そうであってくれないと自分がストーカーみたいで気持ち悪いから是非考えていて頂きたいところではある。

「…スーパーか?」

思わず漏れ出てしまった声は流石に変質者じみていて自分でも少し引いた。時折擦れ違うは、買い物袋に食材らしきものをみっちり買い込んでいることがあるから、定めて自炊するタイプの人種だろう。丸餅も、俺みたくレンチンでバター醤油、なんてことせずにわざわざ網で焼いて砂糖醤油を絡め、海苔で巻いてからおごそかに食うかもしれない。想像したら少し腹が減ってきた。丸餅はタッパ二つ分、計16個も残っている。

「………」

案ずるより産むがやすし、と心で唱えた俺はソファに放り投げてあったパーカーを掴んで軽く羽織った。とりあえず、居留守使われるのだけは心が痛むからやめてくれ、と願いながらタッパを片手に玄関を飛び出した俺は、颯爽と階下の扉の前へ移動する。201号室。確認するまでもないけれど一応表札に気を配って、それからインターホンを押下する。応答より先に中から、わっ、との喚く声がして可笑しかった。

「…はい?どちらさまですか?」
「301号室、財前です」
「えっ?あ、また洗濯物落としました?パンツ?」
「ちゃいます…」

そんな何遍も何遍も下階のバルコニー(女性宅)にトランクス落としてたらただの変態さんやろ、と心で大きく突っ込みながら俺は息を吐いた。年の暮れの強風で舞ったトランクスが201号室のバルコニーに飛び込んだ事件は確かに記憶に新しいけれど、そんな記憶は舞ったトランクスの柄(タイガース仕様:誕生日プレゼント)と一緒に早々忘れて貰いたいものである。

「あ、すみません…なんでしょう?」
サン、餅食います?」
「…餅?切り餅とかの?」
「生憎丸餅やねんけど、実家から大量に持たされて、消費しきれんのです」
「えっ、うわ、ラッ……あ、いいんですか?頂いて?」

まだくれてやるとは一言も言ってないけど、ここまで本音を露呈されるともうくれてやらざるを得ない。まあこちらとしては残飯処理のようなものなので、願ったり叶ったりだ。

「…そのために来たんで」
「わー嬉しい!罠みたい!玄関行きますね?」
「え……」

罠って何やねん、罠って!!!!!!!!!!!
付け加えられたように小さく零されたそれは多分聞えよがしの類ではなかったと推察出来るけれど腹の中の言葉だと思うと程度が悪い。口に出して人間関係に差し支えがありそうな台詞は心の中に留めておくのがコミニュケーションにおけるマナーだと思うがどうか。とは言え、不躾はお前のキャッチコピー!と指摘されたことのある俺が主張出来る立場かどうかはいささか不明である。

「あー、わざわざどうもー」

暴かれた扉の内側からはふわりと甘い匂いが立ちこめてなんだか眩暈がした。こ、これが女の一人部屋の威力っちゅーやつか…!と内心でどぎまぎしつつ決して表情には表さないように会釈を返す。彼女の視線は俺の面立ちから即座にタッパの方向へ差し向けられて何だか少々がっかりした。

「…いえ、余りもんなんで」
「っていうか超奇遇」
「え?何がすか」
「今おしるこ作ってたんだけど、ウチの鏡餅小さいから淋しいなーと思ってたんで」

言いながら、は丁度いい塩梅に玄関に飾られている鏡餅を撫ぜた。成る程、先に感じた甘い香りと眩暈はから発せられる色香とかそう言う種類のものでは断じてなくて、自らの好物が煮え立つ折に発する芳醇な小豆の薫りだったのか。道理で、情欲より胃腸が湧き立った訳だ。そういえば今日は鏡開きとカレンダーに記してあった。
鏡餅を玄関先に飾るのは良くない、と聞いたけどどうなのか、と考えつつ見詰めた鏡餅は確かに極小サイズである。とは言え、一人暮らしの女が食うと考えれば妥当だろうと思うのだが、どうか。

「…まあひとりなら…充分やないですか?」
「えっ、いやだってあの量だよ?」

彼女が示す後方、我が家と同じ造りのキッチンコーナーに赤い鍋が見て取れる。それは寸胴と行かないまでもカレー10人前は作れるであろう大きなものだった。そこにたんまりと、くつくつと煮えるはしるこ、というよりぜんざいである。

「…サンって大食いチャンピオンの方やったんですね」
「ち、違いますよ!ちょっと見誤って小豆を戻し過ぎたの!」
「したって見誤り過ぎでしょ?」
「だっておしるこなんてあんまり作らないし…」
「当分は三食しるこですね?朝しるこ昼しるこ夜しるこ」
「い、いいんです、おしるこ…まあ好きだし、本望です」
「フーン」

ここで腹でも鳴ろうもんなら一貫の終わりではあるけれどある種ナイスタイミングでありはしないか、と言うような陳腐すぎる天使と悪魔の葛藤を数秒行いつつ俺はタッパを差し出した。は鬱陶しいほどうやうやしくタッパを両手で受け取ると、ありがとうございます、と丁重に述べて見せる。

「あっ、そうだ」
「………はい」
「お礼と言っちゃなんですが、折角なんで、食べて行きます?」

にへら、と微笑ったの顔には「消費に困り果てていたから食べてくれたら助かる上に借りが帳消しになってラッキー」としっかりくっきり書いてあった。

「はあ」

まあそうして気のない返答をしてのけた俺の腹こそ読めはしないと思うけれど「海老で鯛を釣るとはまさにこのことやん!超ラッキー!」とかなんとか心躍らせていたからが読心術の持ち主でないことを心底願わざるを得なかった。


玄関で少々待たされたのち部屋に通された俺は、ぐつぐつと煮えたぎるマグマのような小豆を横目に暖簾を潜った。殺風景な俺の部屋とは対照的にこまごまと物が置かれている201号室はどことなく暖色で統一されていて、間取りこそ同じであるもののまるで違った様相である。溢れる香りこそ今や小豆に汚染され尽くされているけれど、まあきっと通常はそれなりに、女性らしい香りに包まれているんであろう予感がした。

「お餅焼きますよねえ?」
「あ、面倒でなければ」
「や、私も焼くし、ついでなんで」
「すんません、おおきに」

多分ホンマについでなんやろなと苦笑を浮かべつつ、申し訳程度の仕切りであろう暖簾の向こうに謝礼を投げる。は餅を焼くのに必死なのか、それから暫く何も言わなかった。ベッドサイドのラックに視線を送って見ると、そこにはアイポッド用のスピーカーと数枚のCDが散らばっている。

「…ふーん」

餅の焼ける匂いを感じつつ、ジャケットを手に取った俺は、そういや結局秋の暮れに交わされた約束を不意にされていることを思い出した。まあ別にどうでも良かったと言えばそうだ、と言いたいところだが、忘れていないところを見ると極めて頗るどうでも良かったことへ分類されてはなかったらしい。あの会話の流れから察するに、からかいか冗談だろうだと思われてもおかしくはないから仕様がないし、事実どう転んだとしても、ここから数週間はこのネタでを弄くれるであろうと踏んでいたことを考えると、9割型はの思惑に反していなかったと言えよう。
それはそれとして、下階のシャワーの音が始まっても歌声が微塵も響かなくなったことはいささか不服だった。繊細そうに見える外見をよそに、苦情を言いに来る図太さを持ち合わせているくせ、そこに収納されているものは矢張り蚤の心臓であったらしい。

「……よおわからん」
「あっ、ちょ、何してんですか!」

いつのまに後方に佇んでいたは、お盆を持ちながら目をまあるくしてこちらを見下ろしていた。何かしら謝罪の一語が口をつこうとしたけれど、それより何より盆の上に置かれた器の大きさに言葉を失った。器の中身が見えないアングルから彼女を見上げている今現在、今までの流れを以ってしてもそこにぜんざいがおさめられているとは到底考えられない。

「………関東の文化っすか?それ」
「………判ってても突っ込まざるを得ないのは関西の文化ですかね!?」
「てかまず一人暮らしの家にそないなラーメンどんぶり二つあること自体意味わかれへんやん、どんな青写真描いててん」
「カタログギフトできたかたラーメンセット選んだら付いて来たんだよ!」

選びようはいくらでもあるカタログギフトからよくもまあ花の女子大学生がきたかたラーメンセットなんて選ぶな、と思ったが、派手目の音を立てて置かれた盆の衝撃で咽喉の奥へ引っ込んだ。ラーメンどんぶりの中にはまごうことなき多量のぜんざいが溢れんばかりに盛られている。そこに沈没船のように顔を出す餅。助けてくれ、と言いたげな彼らは多分ふたつ、か、みっつ内服されていると見た。

「…パないっすね」
「だから言ったじゃん、作りすぎたって」
「それにしても、初訪問の客にこれ、出します?普通」
「食べ盛りでしょ、たんと食いなっせ」
「……サン、どこ出身で」
「……東京」

無言の時の中ですとんと腰を降ろしたは、どんぶりと割り箸をそっと俺の目前に置き遣った。どんぶりに気をとられて気付かなかったけど、盆の隅には入れたての緑茶と箸休めの漬物まで用意されている。どんぶりの豪快さに引き換えこのきめ細やかさ、やっぱり、よおわからん。

「ほな、いただきます」
「あ、残してもいいですから」
「んー、平気です、多分」

割り箸をわりながら、のらりくらりと口にした俺にが怪訝そうな瞳を寄せた。まあ当然だろう。このぜんざいは通常量の5倍は下らない。しかし15を迎える誕生日、夏の盛り、わざわざ部室で待ち構えて下さっていた諸先輩方にかわいがりと言わんばかりに食べさせられた土鍋いっぱいのぜんざいに比べればかわいらしいものである。ラーメンどんぶりに口を寄せて食す甘味、と言うのは異様でしかないにせよ、口の中に傾れこんでくる幸せは無二だから、顔が綻ぶのも仕様がない。

「は、あったまる…」
「…おいしいですか?」
「あ、はい、……やっぱ冬はぜんざいっすわ」
「へ?おしるこだよ」

きょとんとしながら一足遅れて割り箸を割ったは、どんぶりを見ないままで餅を掴みあげた。器用だな、と頭の片隅で思いつつ俺は微かな反論を零す。

「いや、どう見てもぜんざいやし」
「いや、おしるこだってば」
「せやってつぶつぶやん」
「つぶつぶでもおしるこはおしるこじゃん」
「つぶがないのがしるこやろ」
「あっ、いつの間にかすげえ減ってる!財前……さん、さては甘いもん超好きっしょ!」

話めっちゃ逸れたし。
っていうか図星やし。
ほんまようわからん。
…と、いうより。

「…別にいいっすよ、さんとか、…多分俺年下やと思いますし」
「はっ!?私そんな大人の色香漂わせてました!?」
「アホちゃう」
「うっ!?」
「…引越しの時に言うてはりましたよ、3回生やて」
「あー…、あんときはテンパってて何言ったかよく」
「せやったと思います、引っ越し挨拶についてた熨斗結び切りやったし」
「う、嘘!?」
「嘘ですわ」

香ばしく焼けた丸餅を頬張りながら、俺が淡々と物申すと、ぜんざいの湯気の向こうでが眉間に皺を寄せて赤くなった。ようわからん、と散々言ったけれど、からかい甲斐がありそうな気質を持ち合わせていると言うことは見込み通り違わなかったと俺は内心でほくそ笑んだ。

「……あれから上騒がしいことありました?」
「……おかげさまで」
「下が騒がしなくなったのは遺憾やねんけど」
「……まだその話する?」
「メンタル強いのが俺のとりえなんで」
「これだから最近の若者は…」

アンタ俺と一個しか変われへんやろ、と心の中で呟きながらそんなことより大事なぜんざいを矢継ぎ早に流し込む。そうか、つまりこの人は部長や師範とタメなんだな、と思ったら、なんだか急激に親近感が沸いた。そんなもん、もはやタメみたいなもんや、と言う自論こそ、この人のいういまどきの若者らしい考えと言うやつだろうか。

「あー、なんだかもういやになってきた」
「嘘やん、でかい口叩いておいて胃のキャパ狭すぎやないですか」
「いや、君のほうが異常でしょどう考えても!?飢餓状態のひとかよ!」

とりあえず自分の椀(?)が片付いて一息ついた俺は斜め脇で腹を撫でているを確認してのち、彼女のラーメン丼を覗き込む。そこにはまだ半分もぜんざいが残っていた。三食しるこも辞さない、と言っていた癖にこれかよ、と思いながら、俺はそのラーメン丼に無言で手を伸ばす。が一瞬はっとこちらを睨む。初めて見る顔だ。

「…食わへんならもったいないお化け出るんで貰いますわ」
「なんだそれ単純に食べたいって言ってくれや!?」
「いや俺ツンデレやないですか?」
「知らねえよ、でもそうだろうなおい」

年下と知ったからか慇懃無礼になるのは実に謙也さんくさい。なんとなくこのひとと謙也さんは仲良くなれそうな気がする、と思いつき、今謙也さんの隣で笑っているザ・コットンキャンディーみたいな恋人のことを思い出して首を振った。多分この人と謙也さんの間に生まれるのは男女の垣根を超えた友情に違いない。妄想を決して悟られない顔で二杯目のぜんざいを啜った俺は、一杯目とさして変わらない溜息を零してそれから漬物に箸を伸ばす。そのとき、の瞳がじっとりと張り付くようにこちらに寄せられていることに気付いてなんだか罰が悪い思いをしながら漬物を食む羽目になった。

「そこの」
「…はい?」
「さっき君があさってたとこにある」
「…はい」
「深紅なる肖像、ってやつ、私のおすすめ」

口の中にじんわりと漬物の塩気が充満して、ぜんざいの甘みを相殺した頃、俺はやっと彼女の言ってる意味を咀嚼して、漬物を飲みこんだ。

「…やっとすか」
「わざわざCDだけ渡しに行くのもおかしいでしょ」

多分きっと関わりたくなかっただけのくせして、マイルドな言い訳を投げてきたは少し卑怯だと思う。まあ、それを言ったら餅を使ってわざわざ訪問した俺のほうがあざとくはあるかもしれないけれど。

「…おおきに」
「あー、返しに来るの面倒ならポスト投函しておいてくれてもいいし」
「そうですね、ぜんざいあるならノコノコ上がり込みますけど」
「……ぜんざいとかダサいとか言いそうなツラで…」
「は?ぜんざいは神っすよ?」
「知らねえよ」

くつくつと微笑んだ彼女は割に無邪気で、ああこういう風に笑うんだと思ったら何故か少々嬉しくなった自分がうらめしい。きっと俺は彼女の帰宅を上階で悟って、わざわざCDを返しに来るんだろう。馬鹿のひとつ覚えみたいに。

そろそろふたつ目のラーメン丼も空になる。
ごちそうさま、を言うのが億劫なのは流石に食べ過ぎたせいだろうか、それとも。


 


〔脱稿〕20140123 たなからまるもち