ずかずかと階上へ向かった私は、深夜1時を過ぎているというのにも関わらずお構いなしでインターホンを強く、それはもう強く押下した。しかも3回も。最初に無礼を働いたのはそっちだから、私的に文句を言われる謂われはまったくない。しかし多分扉からひょっこり顔を出したあいつは言うだろう。今一体何時だと思ってるんですか、と。人に迷惑をかけている輩こそ、人から受ける迷惑に寛大でないのはよくあることだ。案の定、扉の向こうから非難めいた言葉が聞こえる。それから数秒インターホン越しに怠惰な声が響き渡る。

「誰やねん、深夜やぞ、ボケナス」


真 夜 中 の

               エ レ ク ト ロ ニ カ


まさかの関西弁に一瞬硬直した。301号室、財前光。まさか関西人だとは。不覚にも少々ビビってしまったじゃないか、私としたことが。

「すいません、201号室のですけど」
「は、あー、…なんすか、こんな時間に」

お互い擦れ違えば会釈と挨拶くらいは交わしていたから顔も声の種類も知っている。たった6部屋の小さなマンション。まだ引っ越して3ヶ月とは言え、逢ったことのない住人のほうが少ないくらいだ。私と聞いて少し勢いが収束した財前光は少々惚けた声をあげる。もしかしたら心当たりがあるのかもしれない。というか、なければ重傷だ。

「ちょっと出てきてくれませんかね」
「………………判りました」

承諾するのを頗る渋ったのは単純にイヤだったからだろう。まあそりゃそうだわな、駄目出されるのを判って顔を出したがるようなドマゾなやつだったら逆に願い下げしたいくらいではある。だって怖いから。
多分のろのろと廊下を渡ってきた財前光は、ゆっくりと内鍵を外し、それ以上にゆっくりとドアノブを回した。(音から判断)隙間から、グレーのスウェット姿の財前光が覗く。イケメンだなあチャラそうだなあと思っていたけれど、改めて見るといやあこれがまたイケメンだしチャラそうだ。耳にピアスが2つと3つ、併せて5つもくっついている。雑誌に例えるなら「バンドやろうぜ!」だ、まさに。「ロッキンノン!」ではない。なんとなく。

「……なんですか」

独特の関西訛りで標準語を送ってきた財前光を睨みつけた私は、咳払いをして物申した。家を飛び出た時点で怒りは沸点だったから、最早躊躇いも何もない。

「うるさいんですよ?」
「………はァ」
「いや、はァじゃなくて、ギター?ベース?わかんないですけど、下階にめっちゃ音が響くんですよ!寝れないんですよ!寝不足なんですよ!」
「……マジすか、アンプの下緩衝材入れてんのにな」
「知 ら ね え よ … !」

さっきまで形だけでも罰の悪さを気取っていたのにも関わらず急に矛先を別方向に差し向けようとしてくるのが小癪でことさらにむかついた。いや、お前の対策知らんし。めっちゃ響いてるし。どこぞのヒーリング音楽ならまだしもそんな激しいビート刻まれちゃ寝るに寝れねえし。他に隣接する部屋があったならそうだそうだと托生してもっとはやく猛抗議に踏み出せたのだけど、生憎財前光の家に隣接しているのは下階の我が家のみだったから小鳩のような小胸を持った私はなかなか談判に踏み出せなかった。ここのマンションは1フロア2部屋だけの構造で、真ん中に階段が通っている。つまり、全室角部屋。よって最上階301号室の財前光は上階に住む人間を持たず、302号室とは階段を隔てているから騒音被害が及ばない。床・天井で繋がっている201号室だけが害を被る羽目に陥り、堪忍袋の尾が切れて今に至ると言うわけだ。

「…とにかく、少し控えて下さい…、深夜は」
「あー、はい、すみませんでした」
「あ…うん、よろしくお願いします…」

意外に…、いや意外も何も、と言う話だが、意外に素直に頷いてくれたからなんだか心底安堵した。多分心のどこかで財前光は一見少しアンニュイでおとなしそうな風を装っていて実のところ彼女に性的暴力を働いたりとか、のちに起こした猟奇的事件で同じマンションの住人(多分私)が『すごくおとなしそうな人だったんですが…まさかこんなことになるなんて(※プライバシー保護の観点から音声は変えさせて頂きます)』とか言う類の気性の激しさを持ち合わせていて激昂されたら一貫の終わりだとか思っていたのかもしれない。多分テレビと2ちゃんのまとめサイトの見過ぎだ、私は。メディアって怖い。情報って怖い。

「…管理会社通せばええのんに、なんや律義な人ですね、サン」
「………!」

失念していた。まったくだ。多分怒りに我を忘れていた。私が一人暮らし初心者のただの馬鹿だったわけじゃあない。と思ってくれお願いだ財前光。

「……前から思っとったんですけど」
「……え、な、なんでしょう?」

財前光はドアノブに体重を半分かけながら、空いた手でツンツンの毛先を弄くっている。すっかりリラックスモードだ。おうちモードってやつか!?まあおうちだけどよ。一方私は何か仕返しめいたことをされるんじゃあないかと気が気じゃない。やめてくれお願いだ命だけは。

さんの声ってキレイですよね?」
「………は、はあ?こえ…?」

え、何これ、口説かれてんの、と思ったけれど、それにしても酔狂だし、いささか情報不足感が否めなくはないか。財前光が私と一番長く会話したのは今日この日今この時だ。それまでは先に言った通り挨拶程度の言葉しか交わしてない。それなのに、声がキレイとか、突発的なお世辞にしても程があるよ、財前くん、やめてくれたまえ、いやあ照れるではない

「風呂場でよく歌ってますよね?バンプとか、バックホーンとか」

っぎゃあああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!
唐突な爆撃に私の思考は途端The endした。えっ、なにこれなにこれなにこれ、口説いてんじゃないじゃん、全然違うじゃん。やっぱり 仕 返 し じ ゃ ん !

「き…こえて…ましたか…」
「なんや風呂入るタイミング被るみたいで、よう聞こえますよ」

そして財前光は爽やかとも、シニカルとも取れそうな、実にえも言われぬ笑みを浮かべ、私を絶望の淵へ追い立てた。私はひどく居た堪れなくなって、多分小さくごめんなさい、と告げたと思う。おい、完全に分が悪くなってんぞ何だこれわけわかんねえ!!私何しに来たんだっけ!もう帰りたいものすごく!

「…別に、謝らなくてええですけど」
「うっ…く……、か、帰ります、おやすみなさい」
「……ぶっ…」

委縮していつのまにか垂れていたこうべをあげると、財前光が半身を捩らせて笑いを堪えていた。く、くそ…なんだこの負けた気持ち、言いたいことは全て言ったはずなのに、すごい屈辱とモヤモヤ感…!
もうこれ以上その場に居ると気化しそうだったから早々に踵を返した私は、すぐ傍に控える階段の手すりに手をかけた。一刻も早くその場所から逃げ出し、布団の中で泣き叫びたい、階上に聞こえない程度の声で!!!!

「あ、待ってサン」
「…なんですか…?」
「今度おすすめのCD貸して下さい」
「………は、え、私の?」
「曲の趣味合いそうや思ったんで」
「…………いつ」
「いやだから…っ…風呂場で…」

どうやら唐突にツボったらしい財前光は私の眼前でモロに破顔した。最初にのっぺり出てきたときのクールさとアンニュイさは何処吹く風か、なんだかもうこいつのキャラがよくわからない。そんなことより何より 笑 う ん じ ゃ ね え   よ …!

「………気が向いたら」

それだけ言い残して自分の部屋へ逃げ返った私は、そのまま廊下と部屋の真ん中を突っ切ってベッドにダイブした。おいおいおいおい、何だよ気が向いたらってもっとパンチのある捨て台詞残していけたんじゃないのかどうせなら心抉る一言吐き捨てて行けばよかったじゃあないか私のポテンシャルってそんなもんじゃないだろうそんなもんじゃなかったはずだ。

「イケメン、滅びよ」

思いついた捨て台詞をベッドの中で呟いてみたけれど、それって半分は誉めてるじゃあねえかと気付いて死にたくなった。多分そんでその前半部分が私の本心である。

どうせなら他人の意見に耳を貸さない若者らしく明日もノイジーな夜を演出してくれや、そうすればまた文句のひとつでも…と思っていたけれど、翌日の天井からは時折足音が聞こえるのみで日本の未来は明るいなと思った。またその翌日、ばったりポストの前で出くわした財前光は、アマゾンの宅配物を引き抜きながら、ふ、とまたえも言われぬ笑みを浮かべる。

「最近、歌ってくれへんから淋しいんですけど?」

イケメン滅びよ。
いや、マジで。

 


20131029 真夜中のエレクトロニカ