「ねえ、くにみつ」


向かい合わせになって部誌を書いたり成績纏めたり、等々の事務作業を行ってる最中。ふと目前のマネージャー、が口を開いた。


「何だ


顔は書面に落としたまま、短く切り返す。定めて向こうもそうであろうと高を括って。


「私、好きなひとがいるんだけど」
「……………は?」


思わずかぶりをあげると、そこには真摯にこっちを見つめるマネージャーがいて面食らう。おそらくここは、「作業中だぞ」とか「口を慎め」とか言う台詞を、間髪入れずスマートに物申すのが最適だったに違いないが、まさかの一語により、完全にタイミングを失った。ポーカーフェイスを貫いているところのみはさすが手塚国光と言える。

「ちょっとでいいから話聞いてくんない、悩んでんの」
「今は」
「作業中だ、でしょ、わかってるって、でもこんな時じゃなきゃ国光と話す機会ないし」
「…何で俺なんだ」


眼鏡のブリッジを持ち上げながら、手塚は成る丈平生を装って問うた。すると短い息を吐いて、は告げた。










「その相手が…めっちゃ国光に似てるからだよ」













賽は投げられた












彼女は言った「悩んでいる」と。そのレベルがどの程度のものか、自分は彼女自身ではないから推し量ることは出来ない。そもそも比較云々は置いておくとして、その悩みを受けたしゅんかんから手塚も、この厄介な代物をどう扱うか皆目見当がつかず悩みの最中に身を投じる羽目になった。夕餉の折、「国光、どうしたの、ぼんやりして」と母に気兼ねされるほどであるから手酷い。見れば刺身用の醤油皿には並々とウスターソースが注がれている。



「…いや、ごめん母さん、なんでもない」
「そう、ならいいけど」



なんでもない。これは揺るぎのない事実だ。しかしの答えを以ってしても、結局最終的に自分が投げた疑問符に戻って来てしまう。



「…何で俺なんだ?」



風呂場で思わず独り言つと、下手に反響してそれが大ごとのように錯覚しそうになる。こんな事項を尋ねて、自分が良い了見に辿り着く人間ではないことくらい、もう長い付き合いであるは見透かしていると思う。あるいは恋の悩みを打ち明けているのも、自分だけではないかもしれない。しかし頼られる限りは万策尽くしたいと思ってしまうのは生真面目すぎる手塚のいいところでもあり悪いところでもあった。





「この時間、二人になること多いじゃない」
「……そうだな」
「だから、その間だけでいいよ、話聞いて、国光が思うこと言って」
「……………」
「一生のお願い、お願いー!」
「わ、かった」
「ホント!?やったー!ありがとう、国光」





こうして、明日も、明後日も部誌をまとめるひとときに、手塚はの恋の悩みを聞いて、あまつは思うところを言い述べなくてはならないらしい。無慈悲に駄目だと拒否出来なかったのは完全に自分の落ち度だから今更どうすることもできない。しかしどんな爆弾が投げられるのか、少々恐ろしいところではある。






『その相手が……めっちゃ国光に似てるからだよ』







(どんな奴だ、そいつは)






ぐるぐると思いめぐらしているうち、いつの間にか眠っていた手塚は、覚えてないけれど気分の悪い、変な夢を見た気がして、冴えない頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜてのち、やおらベッドから立ち上がる。


















「ねえ…国光」
「……何だ」
「例の話なんだけど」
「……ああ」
「……国光みたいな堅物のテニスオバケでも好きな子が出来たら付き合うの」
「……酷い言われようだが」
「あ、怒った」
「その程度、お前にしたらいつものことだろう、いちいち怒っていたら身が持たない」
「それもまた酷い言われようだな」


少しの間、キーボードのカタカタ鳴る音が部屋に立ち込める。書面と睨めっこを決め込む手塚の、ペンを持つ手は先刻から一時停止していることに、相手は恐らく気付いていない。




「……時と場合によるだろう」
「……時と場合って?…大事な試合が控えてるからとかそういう?」
「まあ、そうなんじゃないか」
「恋心ってそんなんで抑えが効くものかなあ」
「…その男は俺ではないから、参考になるかは分からないぞ」
「うーん、そっか……私は無理だなあ」
「……猪突猛進だからか?
「うわ、的を得ててむかつく、乾かよ」




いつのまにノートパソコンをすっかりお留守にして、こちらを見ていたは大きく嘆息して頬杖をつく。作業の合間に、と言っていたのにいささか本末転倒感があるけれど、そういえば自分の左手も殆ど動いていないから始末に負えない。





「国光が好きになるのって、逆にどんな子なの」
「…………は」
「いや、参考じゃん、…単純な興味もあるけど」
「俺は」












(……どこかの模範例みたいな回答をしてしまった気がする)




一生懸命とか真面目とかいう言葉を並び立ててそれらしい一文を舌に乗せてはみたけれど、それが真実かと言われたら非常に怪しい。「ふーん、ありがと」と零してはいたけれど、あれは真に受けてないときのリアクションである。謎の反省めいたものを心に抱えながら、手塚は風呂場で嘆息した。入浴時間はいつもぼんやりととりとめもないことを思考してリラックスするのに費やしていたはずなのに、ここ二日は脳が忙しくてそれどころじゃない。心なしか早く逆上せる気すらする。
今日もおかしな夢を見そうだな、と思っていたら案の定、昨日の夢の続きを見た、気がするが、朝にはこざっぱり忘れていた。ただまた今朝も、頭がなんとなく冴えない。











「国光う」
「……今日は何だ、
「胸が苦しい」
「……大変だな」
「大変だよ、もう…、国光わかるでしょ」
「……何がだ」
「国光みたいな人だから、国光みたいなわけよ」
「…、お前、国語の成績はまあまあ良くはなかったか」
「9だよ!!!!!!国光みたいに鈍感だから全然こっちの気持ちに気付かないって言ってんの!」
「…それは…流石に読めないぞ、…それに、お前の思い込みということもあるんじゃないのか」
「じゃあ、本当は気付いてて気付かないふりしてるってわけ?」
「…まあ、そうだな」
「いや、そんなわけないね、国光はそんな男じゃない」
「…、俺のアドバイスが聞きたいんじゃなかったのか?」
「はっ、そうだった、ごめん」



いつの間に手塚の鼻先まで乗り出していたは、はっと身を引いて、申し訳なさに少し小さくなった。その様子が少し可笑しくて、手塚は思わずふっと吹き出しそうになった。すんでで堪えて咳払いに変えると、別にいい、と慌てて言葉を繕う。



「じゃあぶっちゃけ国光はさあ」
「…何だ」
「私みたいな女のことどう思う?」
「…は」
「好きなタイプは真面目で一生懸命、とか言ってたけど…、どうせあれ、何となくそれっぽいこと言っただけでしょ」



矢張りものの見事に見透かされていたらしい…と言うのはこの際置いといて、継いでの難問である。(果たして手塚にとって難問でないものがあるのかは怪しいところであるものの)まあ参考意見と言っているのだから、思いのままをぶつけてみる他術はないかと手塚は口を開く。



「…わからないが」
「あ、逃げた」
「…そこそこ真面目で、頗る一生懸命ではあるな、お前は」



部誌に目を落としながら告げた一語に、きっとすぐ非難があるんだろうと踏んで心を構えていたものの、しばらく待っても返答は戻らない。聞こえてない、なんてはずはないな、まさか、と思い、念のため顔をあげると、は何故か、顔を真っ赤にして目をぱちくりさせていたからわけがわからない。つられたようにまたたいて、手塚はしばらくその様子をじっと眺めていた。すると彼女は余計に赤くなっていよいよ俯き、なぜか「ごめん」と謝罪する。



「なにがだ」
「…いや、なにがもなにも…」
「…どうして赤くなっているのかは確かに理解らないが、なぜ謝る」
「だって、国光が、



言いかけた刹那、唐突に部室のドアノブがガチャリと音をたてたから、二人ははっと入口の方向に視線を送る。するとドアの向こうから、菊丸英二がそろりと顔を出した。



「あ、お疲れぇ…よかった、まだ二人残ってて」
「あ、ああ、エージお疲れ、どうしたの、忘れ物でもした?」
「そー、弁当箱忘れちゃって!ウッカリ」



溜息をついた菊丸は、二人の横をすり抜けて、ロッカーの方向へと歩みを進める。彼女は菊丸にかんばせを見られたら終わりだ、と顔を背けた。



「ほー、あったあった、さて帰ろ」



大きな独り言をかましてロッカーから目当てのものを引き抜いた菊丸は、元来た道を鼻歌交じりで引き返して行く。



「じゃね、お疲れ、二人とも」
「うん、お疲れエージ」
「…あれっ?」



菊丸が怪訝な声をあげたので、彼女は少々戦慄いた。そしてコンマ1秒で、指摘事項をどう処理すべきか考えた。しかし、菊丸が噛み付いたのは、予想外に目前の人間である。


「…手塚ァ、なんか顔赤くない?」
「…な、…、そうか」
「珍し、なんかあったの?」



鋭い指摘に、手塚は眼鏡のブリッジを持ち上げて、



「…西日のせいだろう」





…、と苦し紛れの言い訳をした。













(…馬鹿だ)



そして今日も今日とて、手塚は風呂場で頭を抱えている。こんな心算ではなかった。






『だって国光が、







あの折、がとんでもなく狼狽えてから、やっと自分の台詞の逆算を始めた手塚は、定めてが考えていたであろうことに辿り着いてしまった。そうしたら自分がとんでもないことを言った自覚がみるみる沸いて来て、あとは菊丸の指摘した通りの有様である。







『…そこそこ真面目で、頗る一生懸命ではあるな、お前は』








好みのタイプを紋切り型にあしらったとは言え、遠回しでありながら、ここまで率直な愛の告白が他にあろうか。が赤面するのも無理はない話である。
そしてそんなことより今、手塚の胸を何が一番切迫しているかと言えば、羞恥を遥かに上回る後悔であった。






(…こんなことになるなら)



(…もう少しまともな言葉で伝えておけばよかった)






『私、好きなひとがいるんだけど』

『その相手が……めっちゃ国光に似てるからだよ』






あの瞬間、自分の果敢ない恋慕は砕け散り、どこの馬の骨とも分からない自分に似ている誰かのために心を砕く、と決めたのにも関わらず。





『恋心ってそんなんで抑えが効くものかなあ』




彼女の言葉が風呂場に反響して何度も鼓膜を叩く。




(ああ、確かにな)




そうしてまた見た夢の続きはいつもと違い明瞭だった。が件の男と仲睦まじそうに微笑んでいている様子を目の当たりにする現場は嫌に現実味を帯びていたから、起き抜けの手塚のまともな思慮を奪った。ああ、なんで今日は覚えているんだ、と自分を憎く感じながら、のろのろと起き上がる。















その日の部活後、またいつもの時間が始まったものの、は決して自分から話を切り出そうとはしなかった。まるで不自然なその様子は、手塚の心に引っかかっているものが要因であろうことは火を見るより明らかである。これはどうすればいい、あれはどうまとめればいいかというような所謂マネージャーの事務的なやりとりの会話は造作なく行われているから、余計に焦燥が募る。…自業自得ではあるにせよ。
まさか彼女が、あれを本気の愛の告白だと真に受けているとは手塚も到底思っていないが、赤面した言い訳が出来ないままここに至ってしまい決まりが悪いのだろう。そしてまた、言うまでもなく、菊丸に赤面を指摘された手塚も右に同じであるから事態は平行線である。定めて、どちらもきっかけを探しているに違いないのに。


「…………」
「…………」



筆記音とタイピング音が交差して、時折止まる。会話は始まらない。きっと今日はこのまま、もしかしたらずっとこのまま、あのやりとりはなかったかのように時は過ぎて、いつかあの夢のように、が件の男と並んで歩いているのをどこかで偶然見かけては、息をはっと止めて立ち去るのだろうか。その、自分と似ている誰かとやらが、自分であればよかったのに、と見当違いの夢みたいな強く思いを馳せながら。




「……にみつ」
「…………」
「国光?」
「……、っ、なんだ」
「うわ、ぼうっとしてるの、レアだな」
「すまない、どうかしたか」
「別に、謝るようなことではないと思うが」




わざとらしく手塚の真似をして言って見せたは、ぱちぱちと瞬く手塚をみてふっと吹き出すしてのち、ポケットをガサゴソと探りはじめる。突如としてやってきた空気感に、緊張していた心がゆるゆると解けていくのを感じながら、手塚は眼鏡を持ち上げた。あんなに懸念していたのに、それが終わる瞬間はあまりにも呆気ない。魔法みたいだ。
途方もないことを思案している手塚の眼前に、がコロンと、何かを小さな塊を転がした。



「これ、お礼と、お詫び」



よくよく見れば、それはふたつぶのチロルチョコである。ビスケット入りと、きなこもちフレーバーだろうか。手塚はわけがわからなくて、眼前に晒されたそれとの顔を交互に見遣る。彼女は、昨日のことを思い出したように、照れ笑いを浮かべつつ、口を開いた。



「…何のだ、って顔してる」
「ああ、言う通りだ」
「この数日間いろいろ聞いて貰ったし、いろいろ悩ませちゃったからさ」
「それなら、俺が許諾して引き受けたことだ、必要ない」
「そう言うと思った…けど」
「けど、なんだ」
「国光は、優しいからゴリ押しすれば絶対引き受けてくれるって判ってて頼んだんだ、私…、あざといでしょ」



だから、そのお詫び、と継いで、彼女は人差し指でチロルチョコを弾いた。部誌の上にひとつぶ、チロルチョコが転がる。手塚は憮然とした顔をしていたけれど、内心は少々泡を食っていた。返す言葉が見当たらない。




「ホントはね、もうこのまま、今までのやりとりも全部なかったことにしちゃおうか、って思ってたの、さっきまで」
「…………、それは」
「このまま私が何も言わなければ、こんなナイーブな問題、自分から切り出してこないでしょ…、国光は、優しいからね」
「………、」
「でも、なんか、自分が勝手に過剰反応して…、ちょっと気まずくなったからって逃げちゃダメだなあって思ったんだ」




手元に残ったひとつぶのチロルチョコが彼女の人差し指で遊ばれているのをぼんやり見詰めていたが、ふと指の動きが止まったのを受けて、伏せ気味だった顔を持ち上げた。




「そんとき、ポケットにチロルチョコがあることを思い出したんだよね」
「………ふっ…」
「あ、何、笑わないでよ、こっちは真剣なんだけど」
「いや、発想が…、らしいと思って、つい」
「私らしいって何!?馬鹿にしてんでしょ、ねえ国光」



自分だったらポケットにチロルチョコが入っていたところで、それを会話の動機付けにしよう、出来るだろうとは到底考えなかっただろう。そうしてそんな彼女に、悔しいけれど今日もまるっきり救われてしまった。
西日の差す部室の片隅で、緩やかに流れる時間が愛おしい。いつから、が呼ぶ自分の名前はこんなにも特別な響きを孕んで。



「……は真面目で、一生懸命だからな」



口をついて、気まずさの所以となった一語がするりと咽喉を伝った。は、少々目を見張って、それから、少々居心地が悪そうに脇見して見せた。きっと自分が、「あれは言葉のあやだった」と一語告げれば、は安堵するのだろうと手塚は思って、舌に乗せようとするも上手く行かない。


「………言葉のあやでしょ?」

「………ああ、…そうだな」



思いがけず出し抜かれて、手塚は心ともなく頷く羽目になる。それを受けて、少しが憂いめいた気がして、ふと疑問符が心を掠めた。



「………その男の思うことが、何もかも俺と同じとは限らないだろう」
「………そんなこと、わかってる」
「ならば、…別段、悲観することはないだろう」
「………いるとおもう?」
「………は?」
「国光にはちゃめちゃ似てるドッペルゲンガー、この世にいるとおもう?」
「………………どういうことだ、



手塚が疑問すると、はそのまま机にべったりと突っ伏して、それはもう長い長い溜息を木目に染み込ませた。その勢いで、の手元に残っていたチロルチョコが部誌の上のチロルチョコとぶつかって転がる。



「いるわけないでしょ、国光に似たカタブツ眼鏡、この世に二人と居て溜まるか」
「…だったら、お前の好きな男の話、というのはなんなんだ」
「……いや、そろそろ気付いて、学年主席の生徒会長」




(…………そんなところも好きだから)


(…………私もたいがいか)





脳内で白旗をあげながら、は伏せていたかんばせを持ち上げる。見上げた手塚は、眉を顰めながらの齎した根塊を、どう飲み下せばいいのか四苦八苦してる様子である。定めて他の輩が見たら、そんなに懊悩しているようには見えない、とか所論するのかもしれないけれど、ポーカーフェイスもこれだけ見つめ続けていたら心の機微が読めてくると言うものだ。犬猫と付き合うのと似ているかもしれない、…と言ったら手塚は怒るだろうか。
だからもちろん、こんな不躾でみままな自分もきっと手塚に嫌われている…ということはないだろうと推察するのは容易かった。むしろ軽口に付き合って貰える分、好かれているほうだとは思う。しかしカタブツで女の気配を纏わせない部活一本槍の手塚である。男女の間に生まれる可能性のある概念を持ち合わせているのかどうかすら怪しい。とりあえず探りを入れながら長期戦と行こう、と腹を括ったは良いものの、割と早々にボディーブロー並の台詞を食らわして来たから面食らってしまった。





『…そこそこ真面目で、頗る一生懸命ではあるな、お前は』





あんな爆撃食らわしてくるのスケコマシか天然記念物しかいない。そして惜しいと言っていいのか、手塚は後者であるに違いない。判っている。誰よりも判っていると言って言いすぎではないと思う。ほんの一瞬でも心底舞い上がってしまった自分は大馬鹿者だ。
手塚は眼鏡を持ち上げて、軽く息を吐く。ああ、何か言いそうだぞ、とは半身を持ち上げて手塚の目線に自分のそれを揃える。



「…何だかよくわからないが、とりあえず」
「わからないのかよ、しっかりして」
「お前に、他に好きな男とやらがいないのならば良かった」
「………え、それはどういう意味?」
「だから、つまり……、」




物事が何だか唐突に急速展開しそうになったのを覚えて、の口角が意図せずわなわなと痙攣する。





(え、嘘)


(これって、まさか………、)






いや待って、待ってくれ、思考がついていかない。







「俺は、お前が」
「ちょ、え、いや、嘘、待って、国光」
「………何だ」
「あ、ごめん、ちょっと国光にそういう概念があるかないかのところで進化が止まってたから脳がついてかない」
「………は?」
「とっ、とりあえず、チロルチョコでも食べて落ち着こう、国光、はい、アーン」
「…!…、自分で食える…!」
「いいから食う!ほら!」
「!!!!!!」



さっきまで割合にシリアスな空気が立ち込めていた気がするのに、一体全体これは何だ、と思いながら無理やり頬張らされたチロルチョコは、なんだかもちもちと愉快な食感で余計に手塚を脱力させた。一方目前の彼女は、赤面という言葉以上に赤くなっている。




「…………」
「…………」




視界の脇、部誌の隅にはまだひとつぶになったチロルチョコが寂しそうに転がっていた。こんなものを見て、何故かカエサルの名言を思い出した自分はいままさにどうかしている。










賽は投げられた。










…とりあえず、こいつを口に押し込まれる前に、今度こそ胸の奥に吹き溜まっているものを晒そう。そう決意しながら、今日こそは菊丸が余計な忘れ物をしていないことを心の底から祈った。


今日の空は余りに黄昏が近すぎて、とてもじゃないけど顔の赤さを西日のせいには出来そうにない。



 


2020522賽は投げられた