「はぁ…」

には悩みがあった。

「……弦一郎」


曰く乙女のメランコリー


中学2年の折、が惚れたのはクラスメイトの真田弦一郎だった。猪突猛進・有言実行のはそれから猛アタックに猛アタックを重ね、2年の末には男子テニスのマネージャーにまで就任して真田を追いかけた。3年にあがって夏の大会中は流石に猛攻を控えたけれど、そこで抑圧されていたものが爆発したのか秋口の攻撃ぶりはすさまじく、追い詰められた真田はついに半分折れた。

『高校にあがってから考える』

壊滅的に前向きなは、イコール高校にあがったら付き合えるものと踏んで舞い上がり、高校の入学式の直後真田の首根っこを捕まえてのち、あえて回りの連中に聞こえるようにこう告げた。

「弦一郎、今日からよろしくね?」
「…は、はあ!?お前なにを…」
「今日から恋人同士じゃん?私達」
「なっ、あれはそういう意味では」
「えっ、違うの…弦一郎…」

上目遣い、涙目、少し甘えたような声色。皆の注目の最中、不二周助も真っ青のトリプルカウンターを繰り出されてはひとたまりもない。

「…………判った」

本来の恋人同士がどのような日々を過ごしているかはわからないけれど、ひとまずはこれ以上なく満たされていた。真田の彼女、と言う肩書きだけで数ヶ月はおかずなしでご飯3杯は軽かったに違いない。初デートの待ち合わせ時間に1時間も早く来てしまい、そわそわ待っていたら向こうから真田が現れたときは大袈裟ではなく本気で卒倒しそうになった。そうだ、自分は数年間、この日のために生きてきたのだと思ったら涙さえ溢れた。ただごとでない様子のに真田はどうした?といつくしみを帯びて聞いたけれど、それがへの追加攻撃だったことは言うまでもない。
そんなこんなで、春を過ぎ、夏を迎え、秋が終わり、今に至る。はじまりがはじまりだったはずなのに順風満帆だ、と人は言うし、自分でもまあそう思う。しかし、人間の欲望と言うのは尽きないのだ、と痛感せざるを得ないは、今何故か柳蓮二を目前に、酷く大きな溜息を吐いた。

「……さっきから溜息ばかりだが…」
「……あ、うん、ごめん」
「そろそろ用件を言って貰おうか」

出来るだけ手短に、要点だけ纏めた状態で提示しろ、と付け加えて、蓮二は両手で頬杖を付いた。

「冷たいなあ、奢った蒸し豚しゃぶと彩り野菜膳分は聞いてよ」
「もうここに連行されただけで充分対価に相応するだろう」
「そんなに私の話聞くのいやなのかよ!蓮二のくそばかやろう!」
「…帰らせて貰う」
「嘘嘘嘘嘘!ごめんて!あんみつ頼んでもいいから!」

柳はから相談に乗って欲しいと懇願されて、華屋与兵衛へ連れ込まれていた。そして何でも食べていいよとメニュー表を渡されたのだった。何かとんでもないことを相談されるのだろうと踏んで一瞬躊躇いを覚えたけれど、が悩んでいることなどどうせ弦一郎のことに決まっているし、それにしたって高が知れているだろう、と思考を切り替えた。加えて部活後の柳は多少なりとも空腹を覚えていたから、開いたメニュー表を眺めて鳴いた腹の虫に準じた、というのも残念ながら理由のひとつではある。そしてまあ食後の甘いものも脳の潤滑油として効果がありそうだ、と柳は注文ボタンを押下した。

「…すみません、クリームあんみつ追加で」
「くっ、ちゃっかりしてやがる」
「何か言ったか?」
「言ってません…」
「いいだろう…、で、用件は」
「あ、あのさ、あのね」

もじもじし始めたに苛立ちを覚えた柳の眉間には深い皺が掘り込まれている。身の毛がよだつからやめてほしい、と手酷いことを柳が思った直後、やっとでが本題を告げた。

「…どうしたら弦一郎とチューできますかね、参謀」
「……………………は?」
「いや、チュー、判らない?えっとそうか、接吻ですよ?」
「その翻訳は新しいが、…さては俺のことを馬鹿にしているな?」
「し、してないよ、和製かぶれだとか思ってもないよ」
「……帰らせて」
「すみません蓮二さん、後生ですから最後まで話を聞いて下さい!」

腰を若干持ち上げた柳に再び哀願するは頭をテーブルにごりごりとこすりつけている。今現在、この状況が俺の悩みだと思いながら、どういうことだ、と反応してやる柳は優しい。

「いや、もう付き合い始めて8ヶ月経つじゃん、私達」
「…弦一郎の忍耐力には驚かされるばかりだよ」
「あ、そういうのいいから!地味に傷つくから!」
「お前こそ、いちいちつっかからなくていい、時間の無駄だ」
「あ、うん…で、まあ高校生だからそろそろチューくらいしてもいいと思うんだけど、冬だし」
「恐ろしいほど脈絡のないワードだが、それは冬だから恋人達は身を寄せ合うべきだと思うという意訳でいいんだな」
「さっすが参謀!よっ、世界一!」
「…今の数秒で1セット分疲労した」
「もうすぐあんみつ来るよ、さーんぼうファイ!」

じりじりとヒットポイントを奪われていくのを感じながら、柳はいいから続けろ、と唸るように呟く。よどんだ空気の中、運ばれてきたあんみつに苛立ちをぶつけるかのごとく、柳は黒蜜を勢いよくアイスの上にぶちまけた。

「なんかもう最近弦一郎を見ているとこう…無償にチューしたくなってしまって」
「高1女子からかけ離れているお前の脳内がいささか心配だな」
「だってちょっと考えても見てよ、腕も指もあんなに骨ばっている弦一郎のくっ、くちびるはきっと柔らかいんだぜ」
、食事中だ、そういう話は控えてくれ」
「何それ弦一郎のくちびる汚物呼ばわり!?」
「いや、お前の表現方法がそれに値する、率直に言えば気色が悪い」
「…ああいいさ、なんとでも言って頂戴!とにかく私は弦一郎とチューしたいの!だけど奇しくもまったくそういうムードにならなくて…」
「奇しくはない、当然だ」
「なっ、なんでよ!私弦一郎の部屋で肩に寄り添って熱い眼差しを送ってみたりもしたよ」
、食事中だ、そういう話は控えてくれ」
「ちょ、連二、データを超えたデータマンでしょ!?統計にはより多くのデータが必要でしょうが!」

間違ったことは何ひとつ言っていないはずなのにこの釈然としないもやりとした気持ちはなんだろう。そうか不快感か。と間髪入れずに咀嚼しながら柳はアイスクリームにスプーンを差し込む。付き合うまでの間も、再三迷惑をかけられたような気がすることをあえて忘却の彼方に押し込めていたけれど、ほんの僅かに隙間から顔を出してきて余計に苛立ちが募った。いつでも思い悩むのは勝手だが、その都度周りに撒き散らし容赦なく巻き込んでくるのは迷惑千番としか言いようがない。…しかしまあ実際蒸し豚しゃぶと彩り野菜膳とクリームあんみつ分くらいは仕事をしてやるのが道理であり人間らしいいつくしみだろう、と、ひとまず前向きに考えることにした柳であったが、その裏側には「やらないと終わらない」と言う気持ちをしっかりはっきり潜ませていたに違いない。

「…まあ色恋に疎いあいつだが、満更でもないだろうから男のつもりで押し倒して見ればいいんじゃないか」
「うっわ…雑な回答…!それが出来たら苦労しないよ!」
「付き合うまでの勢いを思い出せ、目的は違えど変わらないだろう」
「変わるっつーの!第一その、ロマンがない!」
「そうか、ならば選べ、ロマンのないキスか、キスのないロマンか、二者択一だ」

ぐっと息を飲んだは、頭に手のひらをよせてううんううんと悩み始めた。寒天の歯ごたえとつぶあんの甘み、そしてアイスのつめたさとまろやかさが渾然一体となったハーモニーだなあとか考えてる頭の片隅で、申し訳程度にのことを考えている柳は体裁だけでも繕うためにじっと目前の女を見詰めて見た。見目は差し支えない、むしろ黙っていればしとやかにすら見えるのに、人というのはちゃんと接触してみないとまるで判らないものだ。自分がそうであったように、弦一郎もきっと、こいつが世間一般の女子と同様の感覚を持ち合わせた人間だったとしたらやぶさかでない気持ちをもっと早い段階から覚えていたのではないだろうか。まあそうであるとして、今更急におとなしくなってしまったら、脳手術でも受けて来たのかと心配になる以上に少しつまらないかもしれないけれど。

「……ロ」
「ロマンのあるキスは無理でしょうか、とお前は言う」
「………はい」

いつものであったら『出た!柳のウザいやつ!』と言ってのけたに違いないけれど、今は協力を仰いでいる身としてどうあっても一歩下がらなければならなかった。固唾を呑んだは、上目で柳の言葉を待つ。いつのまにクリームあんみつを食べ終えた柳は、口元をおしぼりで拭ってのち、軽く息を吐いた。

「練習してみるか?」
「………は?」
「奢って貰った分の対価として、付き合ってやるのもやぶさかではないが」
「え、あの……」

身じろいだの顔には混乱の色が見て取れる。しめしめ、と柳が思ったかは知れないが、両手でついた頬杖の奥の口元は、いささか緩んでいた。

「どうする?」
「…どうするも何も…」

慌てふためきつつ、の顔は徐々に赤みを帯びてくる。存外、乙女らしい部分も持ち合わせているじゃあないかと柳ははじめてに感銘した。しかし、すぐに後悔と、前言撤回の念を強く、それはもう強く抱くことになろうとは、流石の柳も予想出来なかった。

「気持ちは嬉しいけど!」
「…………は…?」
「ごめん、無理!!!!!!」

一瞬意味がわからなくて、気付いたら土下座めいた格好になったのつむじがこちらに向けられている。いま、ふつふつと心にわきあがるものの正体は何か。こちらもまた即刻答えが出た。屈辱である。
少し困らせて、黙らせてやろう、と踏んでいたのに、まさかの展開。さすが。…食えない。そして、はじめて柳は女性と言う生き物に殺意を覚えたのだった。

「こちらこそ、お前のような女願い下げだがな!?」
「あっ、えっ!?参謀目開っ、怖っ、マジ怖っ!!!」

頭をあげたは、柳からこんこんと溢れる負のオーラを見て、はじめて自分が取り返しのつかないことをしてしまったと気付いた。しかし、気付いたとて後の祭である。

「…帰らせて貰う」
「すみません、参謀そう意味じゃなくて私は弦一郎一筋だからあ!」
「はやくフられろ、手酷くフられてしまえ」
「参謀の唇もぷっくりしててとっても魅力的だって思ってるよお!?」
「…死にたくなるを通り越して殺意を覚えるのでやめてくれないか?」
「ひいいいぃいい…」

いつの間に窓の外に臨む空は黄昏。に果たして明るい夜明けがやってくるのか、それは誰にも判らない。





「くしゅん!」

真田は、と言えば、道場で矢継ぎ早に巻き起こるくしゃみに思い切り、首を傾げていたりした。

「…風邪でもひいたか?」




 


〔脱稿〕 20140211 曰く乙女のメランコリー