本日は

全国各地で

この冬一番の

冷え込みになるでしょう
 


今日はとりわけ寒くなる、と、お天気お姉さんから聞き及んではいたが、話が違う。これは、痛くなる、の領域だ。手袋をしているのに、コートのポケットから手を出せないままで、は大きく嘆息した。言うまでもなく、吐く息は白く溶け出して、視界をほんのわずかの間だけ有耶無耶にした。

「さぶい、さぶいー!」

足をじたばたさせながらはひとりごちた。ここでほんの少し待ってろ、と、確かに彼はそう言った。ほんの少し、と言った、確かに言った。ここ、というのは、日吉の立派(本人はそうでもないと言うが、古武術道場と設備一式、それに併設された一戸建ての、どこが立派でないのかには理解出来ない)な家の裏にあつらえられた塀扉の前である。先週貸した本を昨日読み終えたから返してくれる、とのことらしいのだが、ありえないほど遅い、遅い、遅いのだ。いつもだったらメール一通返信している間に戻ってくるのに、こんなに寒い今日に限って何故だか余計に待たされている。しかも細い道に入り込んだ風が、逃げ場所をなくして無遠慮に身体を貫いていくから、表玄関で待たされるよりずっと寒い。は若さだけでは耐えられない何かを剥き出しの太ももに感じながら、いよいよ蹲った。

「しぬ、しぬ、しんじゃう!しんだら呪ってやるう…」

と、くぐもった声を細道に響かせた直後、合図のように塀扉が開いた。勿論、そこから現れたのはが待ちわびた日吉であり、そうでなければ凍死していたかもしれない、とは大袈裟な予測を浮かべている。いささか息を切らした日吉は、慌てた様子で口を開いた。

「すみません、先輩…遅くなりました」
「おおおおおお遅いよまじで日吉よおおぉ」
「すみません、本当に…部屋にないと思ったら、兄貴が勝手に持ち出してるみたいで…」

兄の調教ちゃんとしておけこのやろう、とか、せめて家の中で待たせろよこんちくしょう、とか、言い訳おつかれさまです、とか、言いたいことはいろいろあったけれど、とにかくとにかく寒くて仕方ない。蹲ったままぎろりと日吉を見上げたは、そのまま間髪入れずに日吉に飛び掛った。その速さと前置きのなさは、武術の心得がある日吉も太刀打ち出来ないほどだった、というか、完全に油断していた。

「うわ!」
「寒い、寒いよー、たいおんを、よこせー!」
「ちょ、なにす、冷た!」

恋人同士のそれとは程遠いさまでぎゅうと日吉に抱きついたは、それはもう目にも止まらぬ速さで手袋を抜き去り、日吉のうなじに押し当てた。日吉を唸らせるには効果があったが、残念なことに、外気にさらされているうなじは思いの外ぬくみがない。ぬくもりを求めているにとっては収穫ゼロである。よし、ここは制服の中にでも手を入れてやろう、と聞いた限りではどこぞのエロ親父と同レベルの考えで両腕を背中に回したが、先周りした両手ががっしりと悪巧みの芽を摘み取った。

「なにするんですか!」
「だって寒いんだもん!日吉が待たせるから!」
「だから、それは悪かったって…」

日吉の眼下で眉を潜めるの面立ちは、もはや日没の暗がりに紛れていたけれど、鼻先と頬が、寒さで赤く染まっているのはしっかり確認出来た。外した手袋の所為で、自分の掴んだ腕の先もきっとみるみる冷たくなっているだろうことは想像に容易い。開け放たれている背中に手を回せたら、幾分か違うのかもしれないけれど、そうしたら今抑えているふたつの力を解き放つことになってしまうから、よろしくない。何をしようとしているか明確には判らないけれど、よからぬことをしようとしていることくらいは判る。

「わたし、さむいまま帰るんだよ、なのに…」
「誰が帰れなんて言った?」
「………あれ?」
「流石に、そんな鬼みたいなことしませんよ」

安堵したのか、両腕の力が緩んだのを感じて、日吉もまたほっと両手の力を弱める。その流れで、腕を背中に回そうかとも思ったけれど、ふと頭を掠めるのみに終わった。一方、は唖然とした表情を顔に張り付かせたまま、行き場のなくなった両手を再びポケットの中に戻す。

「バタバタしてたら母にバレたので、お茶を入れて貰ってます」
「お茶!」
「…そういえば、お菓子もあるとか言ってました」
「お菓子!」

瞳をきらきらさせ始めたの頭には、もはやあったかいお茶とおいしいお菓子のことしかなく、ゲンキンなことに、寒くて死にそうだった件はすでに片隅へと追いやられているに違いなかった。

「ほら、行きますよ」

の顔色が変わったのを認めて、内心で息を吐いた日吉は、右手を塀扉のノブへ、左手をその眼前に突きつける。はわけもわからずはじめ目をぱちくりさせていたけれど、それが自分に差し向けられていたものだとわかると、表情を柔らかくして、頷いた。いつも冷たく感じる日吉の左手が暖かくの右手に馴染んで、心地良い。

「部屋についたら、覚えとけよ」
「えっ?」
「いえ、こちらの話です」

不穏な笑みがの背筋を震わせる。その意味がわかるのは、美味しいお茶と美味しいお菓子を頂いた、そののちの話。


 

130105本日は全国各地でこの冬一番の冷え込みになるでしょう