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北側の備品倉庫は校舎の影になっていて、電気が点いていても湿っぽいと言うのは有名な話だ。後付けで増築されたC校舎が覆いかぶさる形になったから常に薄暗いんだと言う話を聞いたことがある。とりあえず、学校内の不気味な場所に何か出ると言う噂がついて回るのはセオリーで、私が頻繁に取りにいかなければならない帳簿とコピー用紙がそこに運び込まれるのは非常に恨めしい。私は怖い話が死ぬほど嫌いなのだ。
しかも自分が備品を取りにいかなければならない日に限って電灯が切れているとか不運過ぎて泣けてくる。なくなるギリギリまで取りにいかない私も私だけど、近づきたくないんだから仕方ないじゃあないか。
私が泣きながらその他備品を掻き分け、何故かいつも最奥に置かれている帳簿の束に手を伸ばしたとき、事件は起こった。右斜め後ろにあるダンボールの山から、がたり、と確かに何かが動く音がしたのだった。私は動きを止めた。というか、勝手に身体が筋肉を使うのを放棄したのだ。いちどきに汗があふれたけれどもすうっと引いて、私の全身系は後頭部に集中した。しかし、動かない。動けない。どうすればいいかわからなくて、ひとまず私は全力を駆使して瞼を閉ざした。そして、掠れた声を咽喉に送り込む。

「だれ、か、いるの」

しん、と静まり返った倉庫内に私の声が木霊する。返事はない。しかし、思い過ごしだと思えるほど小さな音でもなかった。この学園内にねずみがいるとも思えないけれどもそう思わなきゃやってらんないので、そう思い込むことにして、備品を抱え込んだまま颯爽とその場を後にする。否、しようとした。

「ひい!?」

しかし唐突に現れた影に阻まれて、私の心臓は確かに一瞬動きを止めた。急停止しようとしたけれど勢いのついた身体はそう唐突には止まれなくて、私はその得体の知れないものにぶつかる格好になった。わけがわからなくて真っ白になった私の頭に、間も無くくつくつという笑い声が響いて、やっと我に返る。目前には、見覚えのある柄のネクタイがぶらさがっている。恐る恐る見上げると、そこには。

「わ……若…」
「っはは、……なんて…、顔、だよ」
「な、何、わっ、わか…えっ!?」

パニックで目を白黒させると余計に若の笑い声に拍車がかかる。ゆるゆると、からかわれたことを認識した私は恐怖心が引いていくかわりに赤いものがこみ上げているのを感じてじたんだを踏んだ。

「もう、すげー怖かったんだから、知ってんでしょ、私が怖いの嫌いなの!」
「知ってる、だから試したんだろ?」
「心臓発作とかで死んだらどうするわけ!?」
「そんなタマじゃねーだろうがよ」
「信じらんない!」

むかついたのでボディーブローでもかましてやろうと腕を振りかぶったら安易にその拳を掴まれた。ああ、そらそうか、こいつ武道やってんだった。口でも敵わず、暴力に訴えても駄目で、立つ手がない。口惜しくて涙目のまま見上げたら、いやに涼しげな顔で見下ろされたから余計腹が立つ。てのひらには 依然として力が籠められていて、私が次の一手を繰り出すのを留め続けている。左手には備品。何も出来ない。

「…離してよ」
「いやだね」
「離してってば!」

振り払おうとしたら今度は瞬時に手首をつかまれ、挙手するような格好にさせられた。…こいつ遊んでやがる。バランスを崩したから左手の帳簿が結局床に散らばった。若の視線は依然涼しげだけれど、少し嘲笑をはらんでいるような気がして何故だか怖くなった。

「わ、若?」
「……ふん」

意地悪な笑みと共に手首は開放されて、痛みだけが僅かに残される。私が疑問符を浮かべながら足元に散らばった帳簿に手を伸ばしたら、若もしゃがみ込んでそれを手伝ってくれた。彼の手にはクリアファイルとバインダ。どうやら若も備品を取りに来ていたらしい。

「ありがとう…」

しゃがみながらお礼を言うと、若は一度動きを止めて、不審なものを見る顔つきでこちらを睨んだ。ゆっくりと詰め寄られて、またふと馬鹿にしたような笑みを送られる。

「お前、お人好しすぎんだよ」
「…そうかな」
「…少しは判っただろ」
「何が…?」

私が首を傾げると、若は目を見開いて、溜息をひとつ落とす。

「…得体の知れないものより、人間のほうが怖いってことだよ」

ことさら疑問符が増えた私は眉を潜めてじっと若の目を見遣る。すると若はぼそり、と何か小さく、呟いた。

「…あのまま押し倒してやればよかった」
「え、なに?」
「…なんでもない」


 

20130901 アレゴリー