くび

図書室の奥に見覚えのある影がひっそりと佇んでいる。目当ての本を抱えたまま歩み寄りつつ目を凝らすと、誰でもない、それは跡部景吾だった。遠巻きでもすぐ判る存在感。人気のない第1図書室でなければ、すぐに取り囲まれてしまうかもしれない。どこか憂いて見える彼に恐れつつ近寄ると、外国語の蔵書に視線を落とす彼はやや涙ぐんで見えた。何か悩みでもあるのだろうか、とおせっかいな気持ちになりつつ、いつの間にほど近くへ近付いていたから、私から声をかけるより先に彼の視線がこちらに寄せられてぎょっとした。

「…んだよ、か」
「…取り巻きじゃなくて、安心した?」
「ああ、少しな」

ふと笑んだ景吾は、蔵書を閉ざして大きな息を吐く。やはり何か抱えているのかと思って、疑問を口にしようとは思ったけれど、到底自分で解決できるものではない気がしたからやめて、ありきたりな台詞を音にした。

「…忙しいの?」
「まあな、…生徒会の打ち合わせまで少し時間が空いたから、暇潰しだ」

私が横に落ち着いたからか、そのままスマートに椅子のある場所へ移動した跡部は何食わぬ顔で自分がまず椅子に座り、私を隣に促した。いつのまに椅子に落ち着いていた私は、しばらくしてからそれが跡部の優しさ(というか身に染み付いた礼儀)だと気付いたのだった。

「お前も随分忙しそうじゃねーの」
「うん、まあもうすぐ文化祭だからね」
「今回は三割増しで派手になるぜ」
「生徒会長様が無理を仰るから纏めるの大変だったわよ」
「はっ、精密な企画書三日で仕上げて来たくせに良く言うぜ」
「それはまあ、仕事ですから」

文化活動委員会の活動ピークは文化祭が行われるこの秋だ。そして何故か実行委員長に任命されてしまった私は中等部最後の文化祭を華々しく行いたいと言う生徒会長跡部景吾のわがままをふんだんに取り入れた企画書を作成しなければならず、骨身を削った。削った甲斐あって、彼を唸らせることに成功したのだから、万々歳なのだけれど。

「ま…、お前のことは評価してる…ぜ」

この上ない言葉を頂きながら、ふわ、と景吾が間抜けな声を漏らす。何事だ、と視線を預けると、口を押さえて大きな欠伸をしている景吾の姿が飛び込んできて、少し驚いた。こういう自分の隙のような部分をあまり人に見せない気がしていたからだろう。

「悪ぃ、かなり寝不足らしい」
「らしいって…寝不足でしょ」

なるほど、さっきの涙目も多分欠伸の直後だったからか。走り続けてぶっ倒れるタイプとは思えないけれど、少々心配だ。

「…少し寝れば?」
「や、起きれるか心許ねえからやめとく」
「起こしますよ、これ読んでるし、大丈夫」
「………悪い、じゃあ15分だけ」

判った、と言おうとして、肩に重みが圧し掛かってきたからびっくりした。景吾が前触れもなく寄りかかってきたのである。私は流石にこれはとおもってあからさまに身を引いたのだけれども、薄く開いた瞳で睨みつけられ、ぴしりと固まってしまう。

「貸せよ」
「…………はい」

仕方なく15分肩を貸した私は、身体を伝う景吾の呼吸の響きとか、ぬくもりとか、そんなものにいやがおうでも集中してしまってとても読書どころではなくなった。しかし盗み見た 景語の寝顔は普段大人びている彼をまったく意識させないほどあどけなく、年相応にかわいらしかった。多分、こんなことを伝えたら怒られるけど。

「……景吾、15分経ったよ…」
「ん…」
「景吾?」
「あと…5分」

そんじょそこらの中学生とまるで変わらない台詞を言ってのけた景吾に、肩を震わせないよう笑うのは少々骨が折れた。




 

20130901 あくび