「……てやる…」
「……はあ?何て…」

電話越し、物申す涙声の幼馴染は、鬼気迫ると言って過言ではなかったから、侑士は固唾を飲み込んだ。

「謙也くんに抱かれてやる…!」
「はっ、あぁ?おま…言ってる意味、わ」


「じゃあね、バイバイ」


通話の途切れるプツ、と言うわかりやすい音の後、無常なビープ音。加えて間の悪いことに部室で電話を取ってしまったがばかりに、馬鹿でかい声で放たれた電話越しの声は、少なからず聞き耳を立てていた面々へ丸聞こえ甚だしかった。

「…ご愁傷様、侑士……っく…」
「アカン、がっくん今それ殴ってしまいそうやわ、本気で」

拳を握り締める侑士は面立ちこそ平静であったけど、内心狼狽しているのは明白だったからか、部室の面々のいやに生暖かい瞳が痛い。深く、深く息を吐いた侑士はふらつく頭を抱えて、どうにか言い放った。

「やめえや、そんな眼で見いひんといて」
「い、いや…す、すみません、つい」
「…ウス」
「あまりにも壮絶な別れの台詞だったからな、みんな引いてんだよ、侑士、なはは」
「別れの台詞ちゃうて…あれは」
「えっ、あれって違うの、日吉い」
「…や…、俺にフらないで下さいよ…」
「他の男のもんになる、っつってんだろ?…諦めろ、忍足」

さして興味がないと言う様子だった跡部にまで遠くから言葉を送られて、忍足は愕然とした。自分と幼馴染との関係をよもや知らないものなど少なくともこの中には居ないはずなのに。

「激ダサだな?忍足…、ほらいいからコート行くぞ」
「…薄情やなあ、お前ら」

瞳を虚ろに擡げた忍足は、内心ひどく、泣きたかった。


と侑士、二人の出会いは小学校時代に遡る。もともと京都の小学校に居た侑士は小学校3年生の夏休み明け、従兄弟の謙也が通っていた道頓堀第二小学校に転校して来た。そこでクラスメイトとして知り合ったのがである。もともと謙也と仲が良かったは、介して侑士ともすぐに打ち解けていった。3人は同学年であったが、出逢った頃のがいとけなく無邪気であった所為か、謙也と侑士はどこか年下の妹のような気持ちでとじゃれあっていた。しかし、侑士が東京へ引っ越すと言う話が持ち上がったとき、状況は一変する。というより、元々多分、は侑士に対して並々ならぬ感情を抱いていたに違いなかった。

「なあ、侑くん」
「……うん?」
「ほんまに東京行ってしまうん?」

それは既に風が痛みを孕む冬の初めのこと。たまたま謙也が風邪で学校を欠席した帰り道の通学路にて皮切られた。

「親転勤族やし、しゃーない、4年もここにおったことのほうが不思議やと思うわ」
「……そか、淋しいな」
「謙也と同じ中学行くんやろ、ほなら淋しないやん」
「……なんや、侑くんはちっとも淋しないみたいやな?」
「……いちいち淋しなっとったら身ぃ持たへんよ」

件に関しては達観している旨を延べておきながら、実のところそれは強がりでしかなかったけれど、定めてそれが侑士の処世術となりつつあった。大人からすればきっと見え透いたものであったに違いないけれど、それを透視出来るほど、の情緒に余裕はなかった。

「そない言わんといてよ」
「…?」
「わたしが、あっ、アホみたいやろ…」

忽如ぼろぼろと泣き始めたに侑士は一瞬言葉を失う。この頃から、歳の割に落ち着いていると人に言われていたけれど、流石にこの時ばかりは眼鏡の奥の瞳を真ん丸く見開いた。

「な、泣きなや、?こっち帰ってきたとき、逢えるやろ?」
「ちゃうもん、侑くんのドアホ」
「何がやねん」
「好きなひとにそない言われたら悲しなるやろ!」
「…………は?」
「侑くんが、好きや、って、ゆうてんの!」

言い放ったは、そのまま顔を伏せて号泣を始める。侑士は頭がちかちかとなる変な感覚を覚えながら、ええと、とひとりごちて、働かない頭をどうにか巡らせた。

「や、俺も、好きやで?
「侑くんの好きと私の好きはちゃう!絶対ちゃう」
「どうちゃうねん?」
「私は、侑くんのお嫁さんになりたいゆうこと!」
「お嫁っ…」
「どうせ侑くんは謙也ももどっちもおんなじに好きゆうねやろ…私は、そんなんとちゃうから」

掌を取り払って、涙目で見詰めてきたは今思い返せばまだまだいとけない盛りの小学生だったけれど、その時の侑士にとって見れば、出逢った頃の小さな女の子とはもはや別人のように思えた。言うなればそれが、侑士が恋に落ちた瞬間というやつだったのかもしれない。

「アホ、気ぃ早すぎるわ、俺らまだクソガキやで」

オレンジ色に染まる通学路、ほとんど後先考えず唇を掠め取ったのは、完全なる若気の至りと言うやつで、頭でっかちになってしまった今の自分にとっては逆に、とてつもなく勇気に溢れた行動だったな、と思わずにいられない。

―――そうして2人は互いに彼氏彼女と言う照れくさい称号を手に入れてのち、離れ離れになった。案の定、色恋事に鈍かった当時の(おそらく今もだ)謙也がの気持ちに気付いていた道理もなく、ことを伝えたときはめっぽう驚いていたけれど、まあそういうことなら変な虫がつかないよう見張っておいてやる、と頼りなくも心強い言葉を送ってくれたから助かった。だが、それから遠距離恋愛を続けること早2年と7カ月、まさかそう言ってくれた心の優しい(だけがとりえの)従兄弟が自ら変な虫に成り下がるとは、夢にも思わない。
ラケットのグリップを握り締め、どうにか心を平生に保とうと思うが言うまでもなく上手く行かない。宙に浮かんだような頭のまま、コートに入ったところで何が出来よう。そしてその合間にも、もしかしたら謙也に、が………。

「……くそ…」

ひとまず、まだ自分すら介入したことのないのまっさらな身体を謙也ごときに明け渡されては堪らない。そんな中、跡部の去りゆく背中を見詰め、侑士の脳裏にはっきりと浮かんだのはありふれた慣用句のひとつであった。

【背に腹は代えられない】

「…跡部」
「あん?」

グリップにさらなる力が籠る。何もしてないのに汗ばむ自分はらしくないなと思いながら、忍足は次の一語を舌に乗せる。






『………侑士、お誕生日…、おめでとさん…』
『おおきにな…って…どしたん、暗ない?』
『暗くもなるわ…』
『何や、腹でも壊したん?』
『………忘れてるやろ、約束』
『は…?約束?』
『うわ、完全に忘れとる、ありえん』
『ちょお、待っ…、アカン、思い出せへんわ、何やったっけ?』
『最悪、しらばっくれて実はちゃんと覚えてましたパターンや思て期待したわ!そのポーカーフェイスはただの飾りやったんか!?』
『何で誕生日にこない罵倒されなアカンねんな、サプライズっちゅーんは普通祝われるほうがされるもんやろ?謝ろ思ってたけど、ちょっと気分悪いで、
『はーん逆ギレっちゅーやつや?』
『逆でもなんでもあらへんわ…、部活始まるから、もう切るで』
『侑士のくそばかやろう…もうええ』
『…はあ、切るで、
『……てやる…』
『……はあ?何て…』
『謙也くんに抱かれてやる…!』
『はっ、あぁ?おま…言ってる意味、わ』
『謙也くんは侑士と違て優しいし!この前も侑士がおらんくて淋しい言うたら励ましてくれたしな!』
『ちょ、待てや何やそれ、聞いてへんぞ』
『じゃあね、バイバイ』

それから、何だかんだ1時間はうずくまって泣いていたかもしれない。その間数回侑士から着信があったけど、ひとまずことごとく無視して、は泣き続けた。屋上の風は秋めいていて心地良いけれど、感傷の極みであるにとっては少々痛い。追い立てるように傾く太陽を見つめながら、謙也のことをぼんやり考える。そして、今日は運動部が休みの日だから、謙也は放送室あたりに居るかもしれないとあてをつけた。試しに『いまどこ』とメールを送りつけて見ると、ものの数秒(は言い過ぎかもしれない)で返信があった。『ほうそうしつ!』続け様、『ひとり?』と送りつけると、またすぐに『せや!』と返って来た。返事をあぐねていたら、先周りのメール着信で『何かあったん?』と気遣いが添えられていてまた泣きたくなった。躊躇いつつも、日陰から腰を持ち上げたは『いまいく』と打ち込んで、謙也に送信してのち、校内へ駆け込んだ。

「おー、来たなあ」

間の抜けた声でを迎え入れた謙也は、ペン回しを中断して隣の椅子を引きだした。謙也の言う通り、放送室には他に誰ひとりとしていない。もともと5、6名も入ったらぎゅうぎゅうになるせせこましい場所だから、使用する折は少人数で、と相場が決まっているのだろう。決意と共にやってきたはいいけれど、どう切り出せばいいのか。椅子に腰を下ろし、謙也の顔を脇目で確認したら、何だかそれだけで心臓が上擦った。

「…どうしてん」
「んー…」
「侑士やろ?」
「…うん、まあ、そう」
「今日あいつ誕生日やんな?」
「そうやった、かも」
「かも、やあれへんやろ、プレゼント準備しとったやないけ」
「…うん」
ー?」
「………はい」
「…ちゃんー?」

顔を覗きこまれ、頭を撫ぜられる。なんとなく犬猫のような扱いだと思いながら、しげしげとその面立ちを見て見ると、従兄弟だと言うのに侑士と似通った部分がひとつもないことに改めて驚いた。髪なんて脱色しているから余計だ。大き目の瞳をぱちぱちとさせる様子は下手に無垢で、多分自分がこれから要求することなんて露ほども予想していないだろう、と断言できる。

「何も言わへんとわかれへんよ?」
「……謙也くん」
「せや、アメちゃん食べるか?今朝白石からぶん取っ」
「謙也くん!」
「は、はいぃ!?何や、急に大声出して何や、驚くやろ?」

多分これからもっと驚くはずだ、と内心呟きながら、は震える手で謙也のワイシャツの袖を掴んだ。なになにどうしてん?と戸惑いつつも謙也の瞳は優しく緩められていたから何となく気持ちが咎められたけれど、後には引けない。沸騰しきったの頭は、既にまともな判断力を失っている。最後の方は、もうどうにでもなれ、と言う思いだった。今一度、謙也の名前を呼んだは、自分と相手の膝小僧あたりにぼんやり視線を這わせながら、震える声を放送室に響かせた。

「なぐ…、なぐさめ、て」

部屋の作りの所為か、沈黙における静けさは異常なほどで、耳が痛い。どうにか視線を持ち上げて、謙也の顔色を確認すると、わけがわからない、と言った風に呆気を張り付かせている。の視線に気付いて、はっとした謙也は、口籠りつつどうにか咽喉に声を送りこみ、再びそっと、眼前の御髪に触れた。

「え、えっと………よし、よーしよし?」
「ち、ちゃう!その慰めとちゃう!」
「これやなかったら、何やねんっちゅー話や!」
「言わせる!?それ!?」
「…い、言わなわからへんやろ」

途端耳まで赤くなった謙也が、それが何か察してない道理はない。定めて謙也はことをはぐらかしたいだけなのだ。なんとなく腹が煮えて、の中の何かがプツリと切れた。

「はん、…ええわ言うたろうやないか、…せっく」
「アカン!アカン!女子がそないなこと言うたアカン!」
「言え言うたり言うな言うたりどっちやねん!」
「待て、どうした、お前には侑士がおるやろ」
「侑士はもうええねん!」
「もうええことあらへんやろ、お前一昨日もあないに」
「もうええねんて…!侑士やなくて、謙也くんのこと好きになったら良かったんやわ!」

が吐き捨てるように言ったのを境に、謙也の声がいちどきに収束する。気色を確認すると、先までの優しい色味は今の謙也から取り払われているようだったから心がざわついた。との関係を除けば、もともと、侑士に対する自負心は人一倍強い謙也である。かような一語は、思っても口に出すべきではなかったことをゆるゆると自覚するも、すでに後の祭であった。

「…かぎ」
「…へっ?」
「誰か入ってきたらどないすんの?」

謙也が淡々と要求したことを、理解するのには暫しの時間を要した。、と駄目押しに今一度名前を呼ばれ、肩を揺らしたは、唇を真一文字に結んで、立上り後方にあった扉の鍵に手を伸ばす。鍵がかかる感触と共にガチャリ、と言う重めのラッチ音が鼓膜を劈いて、は首筋が粟立つのを覚えた。もう多分、後戻りは出来ない、と心で呟いたら、間髪入れず後ろから謙也のぬくもりが降って来たから、いちどきに身体が硬くなった。うろたえている間に、肩を軸に反転させられ、眼前に謙也の面立ちが晒される。近い。は泣きそうになりながら、意図せず沸き上がってくる面影を振り払うのに必死だった。

「言うとくけど、優しく出来るかわかれへんで?…俺もはじめてやからな」
「…う、ん」
「そないな顔すんなや…、

かつてないトーンで、耳元に直接声が寄せられる。その折、考えないようにしていた侑士の顔が脳裏を過った。見目も性格もまるっきり違う侑士と謙也ではあるけれど、低いところで響く声の色はかように似通っている、と判ったのはまさに謙也とのくちびるが触れ合う間際のことだった。

「い、嫌ぁああっ!!!!」
「いっ!?」

火事場の馬鹿力、と言うべき力で突き飛ばされた謙也は、くぐもった声をあげて、そのまま先にが座っていた椅子の方向へ落下した。そして運悪く、背もたれに後頭部をぶつけ、床に転がる羽目に陥る。謙也が白目を剥いたのを確認したは、自分がやらかしたことにもかかわらずひいと悲鳴を上げる。床に伏したまま、暫く動かなかった謙也を見て、もしかしたら打ち所が悪くて死…、と青くなったけれど、ほどなくううんと唸る声を聞いてほっと胸を撫で下ろした。

「…ってぇ………、あー…走馬灯見えた」
「ご、ごめん、謙也くん、ごめ…」
「ホンマやで…、青少年の純情弄びやがって」
「……っう…」

頭を撫ぜつつ半身を起こした謙也は、はじめじっとりと恨みがましくを見つめていたが、溜息ののち、すぐにいつもの表情に立ち返った。

「まあ、こうなることは想定の範囲内やった、っちゅー話や」
「えっ、…嘘」
「嘘やないて、まあ馬鹿力で突き飛ばされるのは想定外やったけどなあ」
「ああうう、ごめん」
「お前みたいに一途なやつが、俺如きに身体許すわけあれへんわ…」

白石ならまだしも、と続けながら立ち上がる謙也は少々自嘲気味に笑んだ。その折、溢れる遺憾の内側で跳ねた疑問符がついの口を滑らせる。

「何で白石くん?」
「は…、何でって、そら…お前、かっこええからやろ」
「そない言うなら、謙也くんやって、充分かっこええよ」

怪訝な顔で見つめてくるに拍子抜けしたものの、その台詞は露骨なまでの嘘偽りなさが含まれていたから複雑だった。ありていに言えば、単純に嬉しかった自分は非常に浅はかだと謙也は思う。いつまでもかわいらしい、妹のような。この掌に縋ってくれるのは、多分侑士が戻ってくるまでのことだと思うと、少しだけ口惜しい。

「アホ、そういうのはな、好きな男にだけ言うもんやで」
「…ごめんな、謙也くん」

謙也の手が伸びて、の頭をぽんと叩く。それがスイッチのようにぼろり、と涙を零したは、はじめに謙也の優しさにつけこもうとした自分を恥じた、それから売り言葉に買い言葉めいて、威勢よく啖呵を切った自分を悔いてのち、不覚にも無償に侑士の顔が見たくて仕様がなくなった。

そのとき俄かに、後方の扉のノブがガチャリと音を立てる。はっと二人がそちらに視線を送ると、奥から先生らしき人の声がか細く響いた。慌てた謙也がの脇をすり抜けて鍵を開けると、そこには慌てふためいた顔の数学教師が佇んでいる。の記憶が正しければ、確か放送委員の担当教諭だ。謙也の背中越し、確認した先生の顔は、少々緊迫した様子で気にかかった。

「おお、忍足、おったんか」
「すんません、先生、間違うて鍵閉めてしもた」
「それはええんやけどな…忍足、放送頼んでもええか」
「ええですけど…何や緊急事態ですか?」

面くらいつつ、先生が押し付けてきたプリントを覗くと、そこにはこうあった。

【ヘリコプター校庭緊急着陸のため、校庭に居る生徒は30分以内に校舎内へ避難するように】

「はあ、ヘリですか?」
「せや、なんでも校長宛に連絡が入ったらしくてなあ…断ってもええのに、派手好きやから、あの校長…」
「…おもろい思ったんでしょうね?」
「ホンマになあ…、ほな、頼んだで、忍足」
「任せといて下さい」

快諾した謙也は、扉を閉めると元居た椅子に腰を降ろし、プリントを放送機材の脇に置く。ここにいていいのか、と小さく尋ねたであったが、静かにしといてくれたらええよ、と微笑まれた。静かにしつつ、携帯を確認したら、とりわけ侑士からの連絡は届いておらず、溜息が零れる。まだ部活の最中であることは、判っているけれど。うつむき、もやもやしていたら、いつの間にマイクのボリュームをあげたらしい謙也が、放送開始のありふれたチャイム音のボタンを押下した。

「四天宝寺中学校放送委員会です、職員室からの緊急連絡をお伝えします」

「ヘリコプターの校庭緊急着陸要請があったため、校庭に居る生徒は30分以内に校舎内へ避難するようにして下さい」

「繰り返します、ヘリコプターの校庭緊急着陸要請があったため、校庭に居る生徒は30分以内に校舎内へ避難するようにして下さい」

「金ちゃん、ヘリ見たい言うて校庭おったらアカンで、守らへんと白石の毒手や!」

「以上、四天宝寺中学校放送委員会、放送担当は3年2組忍足謙也でした」

放送終了を告げるのチャイムののち、一息吐いた謙也は、プリントを改めてしげしげと見つめ、アカン、と小さく呟く。

「…どしてん?」
「…何や、めっちゃ嫌な予感する…」
「…何が」
「謙也ァアアアアアア!」

問い質そうと思ったしゅんかん、弾けるように放送室の扉が開き、いやに見覚えのある赤毛の少年が飛び込んできた。定めて、そのまま謙也に飛びつこうとしたに違いないが、手前に居たのはだったから、の胸に激突しながら抱き付く形になる。はうっ、と小さく呻き、少年はあ?と怪訝に啼いた。

「き、金ちゃん…」
「おあ、やらかい、…や」
「金ちゃん、飛び込んできたら危ないやろ!」
「謙也あ、ヘリどこ?」
「そんなことよりそこどきなさい!」
「何で?やらかくて気持ちええで?」
「それは判っ…、ええから、どけゆうとんねん」
「別に…、私はええけど」
「いいことない!」

べりりと無理矢理から引き剥がされた金太郎は不服そうにちぇっと声を漏らしたけれど、驚くほどの速さ立ち直ってきょろきょろと辺りを見回し始め、最終的に奥にある窓から外を覗きこむ。挙動不審、傍若無人、どれを与えてもありあまるほどだ。

「なあ謙也、ヘリいつ来るん?乗ってもええ?」
「乗れるわけあれへんやろ!」
「ええええぇー、ちょっとくらいええやんか…」
「ちょっともそっとも乗れへんもんは乗れへんの!」
「なんや謙也、けちくさいなー」
「俺!?何で俺やねん!」
「こうなったらヘリに直接交渉しかないでー!」

窓側から扉側へ逆走を始めた暴れ馬の首根っこを掴んだ謙也は、こらこらとどうにかその場に金太郎を縛り付けたものの、落ち着きがない(しかも馬鹿力の)金太郎をこのまま留めておく自信がない。ヘリが来るまではどうにかなっても、来てしまったら興奮して静止を振り切り走りだすだろう。目に見えている。

「待て、この……、、白石呼んでくれへん?」
「え、わた、わたし?」
「えーいややー毒手いややー!!!!」

金太郎問題で2人の時間はあれよあれよと過ぎてゆき、運よく校内に残っていた白石に問題児を引き取って貰った頃には、すでにもうヘリが到着してもおかしくない時間帯へ差しかかっていた。慌ただしさにかまけてそう言えば忘れていたけれど、先に謙也が言っていた嫌な予感とは何だったのか。と、再び疑問が浮上したのと、ヘリコプターが到着するバラバラと言う激しい音が鼓膜を叩いたのはほとんど同時のことだった。うわあ、すごい音、と何の気なしに零しながら、先刻金太郎が覗きこんでいた窓を興味本位で眺める。謙也は、間もなくヘリが到着する放送を終えて尚、嫌な予感とやらが拭えないのか、少し浮かない表情をしている、気がした。そしてヘリコプターの外殻を見とめたは、その嫌な予感の正体が何なのか、一瞬にして理解するに及んだのであった。

「あ、と、べ………」

の呟きに、後方で腰を落ち着けていた謙也が立ち上がる。の肩から覗きこんだ窓、ヘリコプターのテールローターの傍に印字される聞き覚えのある名前。【ATOBE】。

「やっぱりかよ」

謙也は呟き、は考えるより先に放送室から飛び出して、昇降口へ向かう最短経路を走った。廊下は走るな、と通りすがりの先生が叫んだけれど気にも留めない。もたつく足で階段を下り終えたは、上履きのままヘリの強風に煽られる校庭へ辿り着いた。丁度ヘリがホバリングしながら、着陸を行っているところであった。

多分、あのヘリに侑士が乗っている。

「話には聞いててんけど…ブッとんでんなあ、跡部言うんわ」

ぽつりと呟き、ヘリが完全に着陸したのち、まず中から現れたのは件の跡部景吾であった。まみえたことはなかったけれど、何度か侑士と映っている写真を見せて貰ったことがあるから、テニス部と関係のないも顔はよく知っていた。どこに出しても恥ずかしくない麗しい面立ち、泣きボクロ、そして右手には拡声器、まさか、と思ったは跡部が咳払いをしている最中、声をあげて跡部の視界へ飛び込んだ。

「はいはいはいはい!!!!」
「…あん?何だテメェは」
、です、私が!」

目をぱっと開いて瞬いた跡部は、そのままの爪先から頭のてっぺんを舐めまわすように見て、ふうんと声をあげる。の予想が正しければ、多分跡部は拡声器で全校中に自分の名前を叫び呼び出しを打つつもりだっただろう。阻止出来たことに安堵していたら、跡部は眼前でおもむろに指をパチンと鳴らした。なにごとかと思ったら、いつのまに傍に控えていた大柄の男(多分氷帝の生徒だ)が動いたから、扉を開けるよう促したのだと言うことが判った。拡声器がスイッチを切る間際、キインといやな音をあげての鼓膜を攻撃する。刹那瞳を閉じて、開いた折、丁度ヘリコプターから降りてくる侑士と視線が交わったから、きわめて驚いた。侑士は無表情のまま足早にヘリコプターから離れると、おたおたと瞳を泳がせるの肩を、表情からは想像つかない強かさで、がっしりと掴んだ。

「…何もされてへんやろな」
「……えっ、あっ」
「謙也に、何も、されてへんやろな?」
「されて、へん、です!」

その気迫たるやすさまじいものがあって、気付けばほんの数秒前まで飄々としていたの面立ちは脆くも歪んでいた。は思わず敬語で物申したのち、千切れんばかりに首を振る。安堵の息を吐いた侑士は、項垂れて、間に合うた、と小さくごちる。は跡部のヘリを目の当たりにしてからここまでの流れが目まぐるしすぎて、頭で理解していることがうまく咀嚼出来ないでいる。本来なら今頃あな遠くで部活に勤しんでいたはずの侑士が、今、自分とこうして向き合っている、と言う事実。3時間前では、望んでいても考えられなかったことだ。

「ホンマ、心臓止まる思ったわ…」
「……ごめん」
「…お前、有言実行・猪突猛進型やからな、既に後の祭りやったらどないしよ思たけど」
「………うっ」

思い切り図星を指されたは返す言葉も見つからず、爪先を睨みつける。確かに、謙也はその気がなかった、と言っていたが、猛進してすんでのところまで突き進んでいたのは真っ赤な偽りならぬ真っ赤な事実だ。

「…部活、は」
「あない言われて打ち込めるか、ドアホ」
「ご、ごめん、なさい…」
「あーあ、侑くんのお嫁さんになりたいとか、かわいらしいことゆうてたはどこへ行ってしまったんやろなあ」

小学生時代の話を蒸し返されて、顔から火が出そうになりながら、は下唇を噛み締める。ああ、そうだ、あの時も侑士が離れていくのが淋しくて、悲しくて、どうしようもなくて、勢い余りつつ自分の気持ちを投げつけたんだった。謙也がをかわいい妹と思っているように、もまた、ずっと謙也を兄のように慕っていたと思う。しかし、侑士は違った。小学3年生の折、謙也に紹介されたあの時あの瞬間から、にとって侑士は兄でもない弟でもない一人の、大切な、男の子だった。

「顔、あげ」
「ん…」
「折角逢いにきたんやで、ちゃんと顔見せえや」

人差し指を顎に添えられて、顔を上向きに修正された。ずっと逢いたいと思っていたのに、いざ目の前にしてしまうと焦れてしまうのは、自分の悪いくせだとは自覚している。しかも今回は罰の悪さも手伝っているから余計だ。

「ほな、教えてもらおか」
「な、何をよ」
「俺がすっかり忘れてもうた約束っちゅーやつを」
「……あー…」
「教えてもらわへんと、謝るに謝れへんわ、なあ?」

侑士の言葉を受けて、罰の悪さに拍車がかかったは、視線を露骨に逸らす。それから、あー、とか、んーとかいう言葉にならない言葉を吐いて場繋ぎを試みた。そんなことをしたところで誤魔化せるわけがないと判ってはいるけれど。

「…何や、言えへんのかいな」
「いや、言えへんことはないけど…」
「謙也に抱かれる気になる程度には怒っとったよなあ?お前」
「わ、忘れて、それは」
「忘れられるか、アホ」

普段淡々とした様子である侑士の瞳がくしゃりと歪んで、それはいかにも嫉妬です、とに物言わず伝えていた。それがなんだかめっぽう嬉しくなってしまったのは非常に不覚で、尚且つ不謹慎ではあるけれど。







『あーあ』
『どしてん』
『結局今年も直接プレゼント渡せへんかったなあって』
『しゃあないやん、休みでもあらへんし』
『でも、こうゆうんは逢って渡してなんぼやで』
『まあ、そうかもしれへんけど…』
『………』
『………』
『………』
『わかった』
『ん』
『来年はどうにか都合つけられるようにするわ』
『ホンマ!?ホンマにホンマ!?』
『まあ、直前にならへんと判ら』
『やった!!!せやったら…うん、へへへ』
『ちゃんと聞けや…っつうか、何、気持ち悪いで、自分』
『逢わなきゃ渡せないもの、用意しとくわ』
『…何やそれ、なぞなぞか』






すっかり約束を忘れていた侑士が、よもや最終的に約束を守っていたことに気付くはずもない。それにどうしてもはぐらかしたかった。ひとつめの約束を思い出せば、ついでに取り戻したふたつめの約束を追求されるかもしれない。この流れで、そのふたつめの約束とやらを受け止められる許容を、今の自分はとても持ち合わせていない。一年かけて培われてきた覚悟は、2時間前の電話でばらばらに粉砕され、別方向へ走りだしたのだ。侑士に捧げられないのなら、謙也に捧げてやる、と。そしてもはや、その覚悟はの内側に跡形も残留していない。頭の中がわやくちゃになって、パンクしかけたから、もうどうでもいいと言う気持ちで氷帝のブレザーに身体を預けた。勢い付いたその様子は、さっきの金太郎と寸分違わなかったかもしれない。勢いにう、と小さく呻いたのち、侑士は深く息をついて、長い両腕をの背中に交差させる。大方、その時の侑士もまた、もうどうでもいいと言う気持ちだったに違いない。

「はあ、もうええわ、アホらし」

完全なる白旗をあげた侑士の胸に埋もれつつ、してやったりの笑みを貼り付ける自分はあながち性格がよろしくないと思うけれど、仕方がなかった。約束が偶然叶えられたとは言え、忘れているのは揺るぎない事実である。でも、もはやそんなことすらどうだっていい。

「…侑士、お誕生日おめでとう」
「おおきに」

中学三年生になった今だって、お嫁さんになりたい、と言う気持ちは揺るがないと耳打ちしたら、侑士はどんな顔をするだろうか。はにかみながらぬくもりをかみしめるは御髪を撫ぜる節ばった手がいとおしくて、瞳を閉じる。


「あいつら…気付いてへんな…」
「どないしよう白石、あのままチューとかされたら従兄弟として生きていかれへん」
「チューするん!?なあ謙也!チューするん!?」

校舎内に避難した面々がヘリコプター物珍しさに皆校庭を覗き、一部始終を目にしていることを、まだ2人は知らない。




 

 

20131015 じゃあね、バイバイ
HappyBirthday Yushi!and Goodluck Kenya!