空腹だから何かレトルト食品でも、と食品用のカトラリーを開けてみたらそこはもうほぼ空っぽで、ふりかけとかのりとか目下しょうもないものしか見当たらない。マジか、そういえば最近、面倒臭がって買い貯めていた保存食をちょいちょいつまんでつまんでつまみまくっていた気がする。空腹に勝る絶望はないから、頭を抱えつつ試験的に乾燥わかめと高野豆腐をどかしてみたらそこにいつ買ったか分からないオイルサーディンの缶詰が鎮座していた。発掘したそれを宝物のように両手で持ち上げたはそのまま底の賞味期限を確認する。

「ッセーフ!」





ド ロ ナ ワ パ ス タ 行 進 曲




流石保存食、と称賛しては脇で壁によりかかっていたパスタの袋を掴んだ。確かもうそろそろ無理ですと音をあげそうなキャベツがあったことを思い出した瞬間、脳の中に誰かが直接語り掛ける。

「そうです…イワシと…キャベツで…ペペロンチーノを作るのです…」

脳に語りかけているはずなのに間抜けなほど声に出しながら、は鼻歌交じりで冷蔵庫から輪切りの唐辛子…は切らしているから一味唐辛子とずいぶんと痩せてスリムになったニンニクチューブを取り出す。日吉がいたら多分わざわざ買い物に出て何かしら買い足して、サラダやらスープやら作るかいがいしさを見せていたかもしれないが、生憎というべきか本日の夕食は恋人不在、ひとりで寂しく食らうことになる。ひとりの飯も気楽ではあるけれど、こういうとき自分のモチベーションの大半は恋人によって保たれているんだなと痛感せざるを得ない。

「今日はゼミの後飲んでくると思うので、少し遅くなるかもしれません」
「マジか、わかった、飲みすぎないでね」
「気を付けます」
「日吉のハーゲンダッツ、無くなってても文句言わないでね」
「…え、いや、なんですかその上目遣い、意味わかんないんですけど」

(そうだ、ハーゲンダッツもあったんだ)

これで恋人の許可を得たと思ってるあたりがとことん身勝手なである。ありあわせパスタを食したらデザートは超豪華だ、と心躍らせながら、包丁でそれはもう適当にキャベツを切ってフライパンにぶちこんだ。

ものの15分で完成にこぎつけたパスタは、見た目は悪いけれどいやに芳醇な香りを放っている。にんにくのすばらしさをほめちぎりながら、皿にパスタを盛り付けて、フォークなんてしちめんどくさいものは使わない、日本人は箸だ箸と食器かごにあったものを掴みいそいそお気に入りのソファにへ向かった。
そして深く腰掛けると、目前に置き遣ったパスタにうやうやしく両手を合わせる。

「いただきま…」

言い終わるが早かったか、暖簾の音でガチャ、と小気味よい音が聞こえる。あれ?と疑問符を掲げて後方を確認すると、そのまま玄関の扉が開く音が響いて、続けざま呟くような「ただいま」の声が伝って来た。

「あれ?え?」
「……うわ、すごいにんにく臭」
「早かったね、ずいぶんと…おかえりなさい」

暖簾を潜った日吉は少し眉を顰めながらポールハンガーにナップザックとストールを掛ける一連の動作を終えて、ええ、と嘆息した。

「教授が明日朝早いとかで、一杯飲んで解散になったんですよ」
「ふうん、筧教授忙しい人だもんね」
「まあ残ってもよかったんですが…財布の中身と相談して帰ってきました」
「なるほど」

そういえば日吉はバイト代が入る直前の時期だ。財布の中が寂しいのも頷ける。…まあ、そんなことより今は空腹を満たすのが先決だ、とはパスタを箸で掬い上げて口の中に押し込んだ。

「ほりあえふ、へえあらってふれば?」
「…口ん中もの入れたまま喋らないで下さいよ」
「はって、おなかふいてて」
「…食い意地」
「ふるはいなあ」

やっぱり見た目はアレだけど味は無類に美味い。そういえば缶詰も出来立てより少し経過したやつのほうが熟成されて美味しくなるとかいう話を聞いたことがある。あのオイルサーディンは多分この家に住み始めた頃買ったやつだからそこそこ熟成されていてもおかしくないなあなんて所論していたら、手を洗った日吉がペットボトル片手に隣へ腰を下ろした。

「…なんですか、それ」
「ん、家の残り物ンチーノ」
「見た目すごいですけど」
「いや、歯に絹着せろよ…日吉まだ帰ってこないと思ってたし適当こいたの」
「…旨いですか」
「うん、旨いよ」

ふうん、と鳴いて、日吉はペットボトルに口をつける。春キャベツを咀嚼しながら、日吉がペットボトルを置いて、テレビのリモコンに手を伸ばす一挙一動
を、は何とはなしに見詰めていた。



くう。



テレビの電源がついて、スピーカーがバラエティ番組を喚き散らすよりコンマ1秒早く、の隣で何かが小さく、しかし確かに唸った。パスタを食みながら、バッと音の来し方に視線を送ると、日吉もまた、と同じ方向に目を遣ったから、結果は日吉の後頭部と対面する羽目になった。

「……………ひよし」
「……………なんです」
「……………おなか、鳴ったよね、いま」

まあ九分九厘確定後の確認を孕んだ疑問ではあったが、状況的になかったことにするほうが残酷だろうとは思ったのであえて舌に乗せる。すると日吉はばつがわるそうに、こちらを脇見して口を開いた。

「…たったの一杯だったし、つまむ程度しか食わなかったんだよ」
「あー、そうだよね、財布もアレだしね」

こく、と頷いて、ペットボトルを煽った日吉は、またふい、とそっぽを向いた。こういうところがたまらないんだよな、我が年下の恋人は、と内心じだんだを踏みながら、持っていた箸をそっと皿に伏せて、そっぽを向いた顔をさらに追いかけるように覗き込んだ。

「見た目すごくて悪いけど……、半分食べる?」

日吉は物言わずのかんばせを確認した。にこ、と細やかに、成る丈慎ましやかに、年上らしく微笑む…とはからっているのかもしれないけれどそんなのは見え見えである。…だがしかし、ほだされてしまう自分は結局に甘いと思うし、今は何しろ空腹に抗えない。

「…いいんですか?」
「横でお腹ぐうぐう鳴らしてる恋人見捨てらんないでしょ普通」
「っ、人の恥をスーパーデフォルメしてんじゃねえ!!!!!!」
「った、痛ッ、デコ割れたああああ!!!DV!!!」

軽めのデコピンにもんどり打つ(演技)恋人にやれやれと思うも、けたけた笑いを残しながら取り皿を探しに台所に向かう様は意外と甲斐甲斐しかったりするからよくわからない。電気ポットのあたりでがさごそしているのを見ると、インスタントスープでも見繕っているんだろうか。

「だいじょぶひよしくん」
「なにがです」
「彼女とチューする予定とかあったら終わるよ、そのパスタ」
「…ああ、それは問題ないんじゃないですか」
「え、マジか、チューしないの、彼女泣くよ?かわいそ」
「…アンタが先に食ってたんだろ」
「私は全力で歯を磨いてブレスケアの予定だったよ」
「そうですか、じゃあ手間が省けましたね」

確かに、ラッキーとかなんとかいいながら、案の定インスタントスープをふたつ追加で持ってきたはそそくさと見た目の悪いパスタを二つに取り分けた。

「頂きます」
「いただきまーす」

…解っては居たけれどありあわせパスタは空腹にぶちこんだのも相俟って、無類の美味しさに感ぜられたのは言うまでもない。隣でいやに嬉しそうにこちらをちらちら見るは、なんだか無償にむかつくけれど、それ以上に少し早く帰れて良かったなんて思っている自分はなんともまあ、…死ぬほどおめでたいと言わざるを得ない。

「日吉、デザートはなんと豪華ハーゲンダッツだよ」
「…それもともと俺のじゃありませんでした?」



 


2020725ドロナワパスタ行進曲