「あっ、ちょっと待って日吉!」

早々と帰宅しようとする日吉を呼び止めて、大それたことのない用件を告げるだけのいつもの光景、のはずだった。

「…なんですか、先輩」

瞳の奥にすぐさま浮かんだあからさまな動揺の色を、日吉は感知した。感知したに違いない。ぜったいに。
 


ひ と み のありか
 


「……先輩?」
「えっ、あっ?」
「いや、待てって言われたから…待ってるんですが」
「あ、ごめん、そうだよね」

怪訝に眉を顰める日吉を、憎らしく感じるのはお門違いと言うものだ。いやしかし、私にとっては非常にゆゆしき問題である。何のために呼び止めたのかをすっかり忘却する程度には。

先輩…?」
「あー、えっと、ほら…、日吉昨日の部活、委員会で少し遅れたでしょ、そのとき次の合宿のプリント配ったんだよ、これ」
「ああ…、そういえば鳳が何か言ってました」

立て続けに落ちてきた爆撃に、再び息を飲んだけれど、どうにか平常営業を顔面に張り付けて鞄に視線を落とす。多分どこかしら引きつっていたけれど、その瞬間は俯いていたから見えなかっただろうと信じたい。

「お金のこと書いてあるから、必ずお母さんに渡しなさいね!ひよたん!」
「…やめて下さい」
「ん?なにが?ひよたん?」
「や、め、て、く、だ、さ、い」
「つ、詰め寄り顔怖いから、怖いから日吉…ごめんて」
「……フン」

私の右手からプリントを引き抜いた日吉は、そのまま身を翻し、背を向けた。あーあ、とかなんとか私は思って、部室の誰にも気づかれないよう小さく息を落とす。

「お疲れ、日吉、また明日ね」
「はい、お疲れ様です………、先輩」

日吉はずるい。

なんでこんななんの変哲もない夕暮れ時に、突飛なことをしてのけるのか。否、本人にとっては造作もないことだったのかもしれないけれど、私にとっては事件である。しかしまあ、何故だどうしてだと問い詰めたところできっと日吉はあっさり自供するだろう。

『ああ、鳳のがうつったんですよ』

とでも。
ああ、想像に容易い。容易くて悲しい。

先輩』

日吉はずるい。
私だって、宍戸のがうつった、とでも言い訳して呼べたらいいけれど、日吉派が勢力の大半を占めるレギュラー部室内で唐突に若と呼び始めるのは異様だ。馬鹿みたいなあだ名で呼ぶのは日常茶飯事なのに、なぜこうも遠いのか、君の名は。

「…はじめから、名前で呼んどけばよかったな」

悶々と考えた末、浴槽内で呟いたらいやに反響して恥ずかしかった。あーあ、長太郎の名前は朝っぱらからあんなにすがすがしく呼べるのに、とか、長太郎には悪いけれど、仕様がないことだ。




私は日吉が好きなんだから。





「なあ、

翌日、帰る準備を終えてローファーを足先につっかけたところで、背中に岳人の声が飛んできた。トントン、と床をつま先で打ちながら、うん?と軽く返答すると、さっきまで寝ていたはずの慈郎が唐突に視界に飛び込んできたからびっくりした。

「腹減りすぎたC、みんなでマック行かね?」
「んだよ、ジロー、聞いてたのかよ」
「みんな…って」
「俺と慈郎とユーシと…多分聞いてねえけど宍戸も来るんじゃねえ?」

まあそうだろうな、お決まりのメンツだな、と心で呟いて、私はふーんと気のない声を漏らす。なんとなく、どうせ暇だし行くんだろう、的なテンションなのが癪だ。暇だし、付き合いはいいほうなので何も言えないけれど。

「……邪魔なんですが」

ふと、岳人の後方に人影が宿り、それがいささか低めの声をこちらに投げた。日吉だ。確かに扉に通ずる通路で仁王立ちのような恰好を決め込んでいた岳人はいささか邪魔で、日吉の言うことは一理ある。ただ、まあそう狭くはない部室なので椅子の向こうを回れば道はあるのになぜわざわざここを、と思うところであるけれど、胸にしまっておこう。

「なあ、日吉、これからマック行くんだけど、お前も来るかあ?」
「俺は………、」

日吉はちら、と一瞬視線を落として、何かしら熟考した、ように見えた。それから口を真一文字に結んで、微かに首を振った。落胆がいやがおうなしに胸に宿る。

「…、帰ります」
「相変わらず付き合い悪ぃなあ」
「忙しいんですよ、先輩方と違って」
「………挙句かわいくねえ…」
「それは安心しました、…では、お疲れ様です」
「あーあ、おつかれ」
「…お疲れ日吉」
「…はい、お疲れ様です」

振り向かないまでも一度私の傍らで止まって、日吉は小さく頭を下げた。ドアのラッチをさげる金属音が背中に響き、やがて扉が開いて閉じる。

「あー、岳人、やっぱ今日は私もパス」
「はっ!?マジかよ!?」
「ちょっと行くところがあったの思い出した、またね」

日吉を見失う前に追いつかなくては、と気が急いた私は履きかけのローファーに足をとられて少々つんのめった。私の気など知らない(知らなくていい)後方の岳人と慈郎は盛大に笑ったけど、そんな輩に構っていたら速足の日吉はずんずん部室から遠ざかってしまう。イレギュラーな帰路の変更でもあったら仕舞いだ。扉をすり抜けて左右の廊下を確認したけれど、矢張り日吉の姿はなく、私は下り階段をほとんど駆け足でクラブハウスの出口へ進んだ。そこでやっと、見慣れたまるまっちい頭の形を見止めてほっと胸を撫でおろした。

「ひよ!ひよし!」
「………は?先輩?」

まだ聞きなれぬ響きにどきりとしてしまう心臓がオメデタイ。とりあえずにへらといつも通りっぽい笑みを張り付けて掌を見せた私は、いつもより少しだけ目をまんまるくしている様子の日吉の傍に駆け寄った。

「先輩方は?」
「うん?マック行くんじゃない?」
「……先輩は、行かないんですか?」
「うん!そうなの!だから、途中まで一緒に帰ろう、日吉」
「……はあ…」
「なにそれ…嫌そうな顔ってやつ?」
「…悪かったですね、もともとです」
「ふふ、知ってる」
「………あんた」

刹那眉間に皺を寄せた日吉は、また直後、今度は脱力したように息を落とす。やれやれ、と言う心の声が聞こえてなんだか少し愉快な気持ちになる私は、底意地が悪いとしか言えない。

「帰ろう、日吉」
「…、はい」

なんとなく釈然としない様子ではあったけど、応じてくれる日吉はなんだかんだ言って優しい。一緒に帰る…とは言え、帰路が被るのはたったの10分だ。きっとほとんど私が独り言みたくのべつ幕無しに喋って、日吉がはい、とか、そうですか、とか相槌を打っていたらあっと言う間なのだろう。…いや、まだ校門の外にも出てないのに落胆するのはあまりに尚早すぎる。私の悪い癖だ。反省しながら、とりとめもない口火を切ろうとしたら、先に隣の人の声が鼓膜に届いたから、ほんの少し驚いた。

「珍しいですね」
「うん?なにが?」
「いつも、ああいうとき断らないから」
「…あーうん、そうだね…」

確かに。大した理由もない限り、あーいうときはホイホイついていくのがいつもの私であり、私なんかに大抵断るような理由なんてない。せいぜい小遣いが尽きたときくらいだけど、そういうときもどうにか忍足あたりや、まあ跡部がいれば間違いなく跡部にたかってことを済ませたりするのが出来てしまう便利な世の中(氷帝学園男子テニス部)だ。だからといって、そんなに颯爽と自然な言い訳を考えられるほど、利口でもないから、とりあえず話を逸らしてみることにする。

「日吉は?これから何かあるの?」
「…俺は、…まあ、…読みたい本があったので」

わかりやすいほどにとってつけた用向きである。それをありていに小うるさい諸先輩方に伝えたら、そんなの休み時間に済ませろよとブーイングの嵐を浴びるに違いない。…まあ、私もそれに加勢してしまっていた気すらする。

「本ねえ…」
「…なんですか、別にいいでしょう」
「いいけどさ」

不満と、多分ほんの少しの気まずさを湛えつつ日吉は横目で私を睨む。その様子は生意気と言って然るべきだろうけれど、私にとっては微笑ましいの一言に尽きる。ああ、もう少し一緒にいたいなあとありふれたことを思うけれど、足掻いてもあと数十メートルで分岐点だ。いやだなあ、せっかくみんなを振り切って、日吉の後をくっついてきたのに、なんとか、どうにかならないものか。
そうして私はない知恵をぎゅうぎゅうと絞って、どうにかこうにか咽喉に送り込むことに成功する。

「じゃあさ、日吉、私に付き合ってよ」
「…………は?」
「私ずっと行きたいお店があって、今日そこに行こうと思ってたんだけど、やっぱ一人じゃちょっと寂しいなあと思って…、そこのパフェが超旨いらしいんだ」
「いや、だから俺は…」
「読めばいいじゃん、本」

言葉もなく絶句した日吉は、私を真正面から見つめてぱちくりと瞬きして見せる。確かに、ちょっと意味がわからないかもしれない。理論ではわかっても、解し難い、という意味で。

「私はパフェ食べてるから、日吉は本読んでいていいよ?」
「…………なんですか、その混沌とした状況」
「いいじゃん?ちょっと甘い匂いのする図書館だと思えば」
「常日頃思ってますけど先輩ってちょっとアレですよね」
「アレってなんだ!?明言してくれよ!」
「アレはアレですよ…」

あきれ笑いのようなものをふ、と浮かべた日吉は『はいはい』といやに適当な返事をしながら、片手をあげた。定めて、降参の意味だろうととった私は心でガッツポーズする。分岐点は数メートル先に迫っていて、イチかバチか言ってみるものだなあと私はにまにましそうになる口元に力を込めた。



人気店舗だから行列が出来ていたらどうしよう。もともと無理矢理連れてきたのだ。おびただしい女子たちの群れを見たら、帰りますとも言わず即座に背中を向けるかもしれない、といささか肝を冷やしていたけれど、杞憂だった。季節がら繁忙の時期は通り過ぎたらしく、意外なまでにすんなりと、店舗スタッフは私たちを席まで誘導した。しかしまあ、周りのテーブルは女子がその大半を占めており、少ない男性は連れ合いであろう女性と向かい合わせで座っているから途轍もなく居たたまれない気持ちになった。私がこの心持である。日吉の気持ちを考えると、余計に居たたまれない。しかし、鬼の形相かと思いつつ目前の人を盗み見るように確認したら、予想外に涼しい顔でメニューを眺めているからほっとするやら肩透かしやら複雑な心境である。読めない。流石AB型だ、とブラハラ甚だしい事を思いながら、私も真似るようにメニューに食い入った。

「………で」
「………で、って?」
「何頼むんですか」
「そら…パフェだよ」
「いや、知ってます、馬鹿にしてんですか?あんた」
「してないってば、迷ってんの」
「ならそう言って下さい」

私の記憶が正しければ、バナナとティラミスのキャラメルソースパルフェとやらが無類の旨さだとどこかの雑誌に書かれていたか…、それでなければ友達がわいわいわめいていたはずだ。情報源は言うに乏しく、この店に実のところ自分がどれだけ執着していなかったかを痛いほど感じる。しかしまあ、うまく日吉を繋ぎ止められたのだから、どうあれ感謝せねばならない。

「これにしようかな…、バナナとティラミスのやつ」
「ふーん、じゃあ、俺も同じやつを頼みます」
「えっ!?日吉もこれ食べんの!?」
「別に…、甘いもの嫌いじゃないですし…正直メニュー見てもよくわかんないんで」

メニューを潔くパタンと閉めて、日吉は店員に向かって手をあげた。別にドリンクだけだって何も言われないのに律儀なやつだと思いながらぽかんと呆けていたら、いつの間にか店員さんが傍らに近づいていたから驚いた。

「お待たせしました!ご注文ですか?」
「あ、はい……、あの、これふたつ」
「バナナとティラミスのキャラメルソースパルフェですね?こちら割とボリュームがございますので、お二人でシェアされる方も結構いらっしゃいますが…」
「えっ……、と、あの」
「……ふたつで、大丈夫です」
「かしこまりました、おふたつご用意いたしますね」

店員さんはすがすがしいまでの笑顔を浮かべて踵を返す。私はそれでいいのか、と日吉に目で訴えたけれど、伝わっているのかいないのか、飄々と、何食わぬ顔でお冷に口をつけた。氷帝学園スイーツ大好き男子キャラの座は慈郎が欲しいままにしているところがあるけれど、もしかしたら日吉も隠れスイーツ大好き男子なのだろうか。…いや、それはない、こいつの好物は確かぬれせんべいだ。そんなどうでもいいことを思案しながら目前の人の挙動を見詰めていたら、ゆるゆるとこれはたいそれたことだと言う実感が降って沸いてきて、じわりと掌に汗が籠る。頬杖ついてテーブルの斜め下あたりに視線を寄せる日吉は、つまらなそうな、でもそうでもないような顔をしている。
そういえば、読みたい本とやらをいつまでも取り出さないけれど、それこそ、それでいいのか。

「…………なにか?」
「えっ、いや、ううん…付き合って貰ってありがたいなあと思って」
「そうですね、血迷ったことを後悔しています、ものすごく」
「日吉、オブラート、オブラート!」
「まあ…こんな店、そうそう来る機会もないんで…たまにはいいんじゃないですか」

恐らく日吉にとって最大限のデレであろう言葉を飲み込んでのち、私はにへらとだらしなく笑う。日吉は息を吐いて、再びお冷に口をつけた。
それとほぼ同時になぜか、ふと昨日の疑問符が頭を過る。

…どうして、唐突に、私を下の名前で呼び始めたのか。

「あのさ…日吉」
「はい?」

気付いたときには皮切る一語が口をついていたから驚いた。いや、こんなこと聞いたら、意識しているのまるわかりじゃあないか。

何をしているんだ、私は。

どうせ長太郎に感化されただけに決まっているのに。

何を期待しているんだ、私は。

どうにか別の話題を舌に乗せようと瞳が泳ぐ。日吉は、怪訝めいた顔をしている。

「えーーーーっと、結構、甘いの好きなんだね?」
「はぁ…、まあ、好きというか、普通です」
「そっか、いや、ひとりで食べるって言い切ったから、実はスイーツ男子なのかと思ったよ」
「それは………、」

思いがけず、口ごもった日吉は少々罰の悪そうな色を滲ませた、気がした。思い違いかと思えるくらいほんの刹那のことだったけれど。

「…そんなことより、先輩、何か本当は別のこと言いかけてませんでした?」
「えっ?は、なんでわかっ…」
「は、図星」
「あっ」

うまく逃れられたと思ったのに、うっかりすっかり勢いにはめられてしまった私は唐突に窮地である。ここで何か別の話題を提示できればいいんだけど、わかりやすく動転してしまったからよろしくない。掌の汗がことさらに滲む。日吉のばかやろう。

「わかりやすいんですよ、先輩は」
「むかつくなあ、日吉は」
「むかつかれてもいいですが…、気にはなるんで、件は消化して下さい」
「いや、すごくしょうもないことだよ」
「しょうもないことなら、言えばいいじゃないですか?」

いやまさに、くだらないことではあるんだけど、そうまで追及されると他愛もなさが微塵もなくなるから本当に言いたくない。どうしよう、の五文字が席巻して、何も生み出さない私の頭はこういうとき頗る粗末だなあと痛感していやになる。

……もうここは、腹をくくるか。単調な疑問だと捉えて貰えるかもしれないじゃあないか。…いや、そんなことはない。どうやら私はわかりやすい、みたいだし。

「……いや、あのね」
「はい」
「きの」
「大変お待たせして申し訳ございません!バナナとティラミスのキャラメルソースパルフェおふたつお持ちいたしました!」

ナイス(バッド)タイミングで会話をぶっちぎった店員さんは、私達の前にボリューミーなパフェをずどんと置き遣った。確かに、このボリュームは相当ハラペコでないとシェア必須かもしれない。本当の目的でなかったとは言え、この大いなるスイーツを前にして曲がりなりにも女子である私が、黄色い声をあげずにいられようか。

「わあああーーー!すごいボリューム!!!!食べきれるかな、これ、ねえ日吉!」
「…少し……、いやかなり自信がなくなりましたけど…これ……」

流石の日吉も想像を超えるパフェの大きさに度肝を抜かれたのか、先の話はひとまずどこかに飛んで行ってしまったようである。私は人知れず安堵の息をついて、パフェ用の長いスプーンをうやうやしく持ち上げた。

「とりあえず食べよう、食べよう日吉、いざ食べよう!」
「あああ、はいはい、わかりましたよ、頂きます」
「いっただっきまーす!!!!」

一緒になって律儀に両手を合わせた私達は、それぞれスプーンをパフェに突き刺した。クリーム、ソース、アイス、バナナとバナナケーキ、どれを口に運んでも、同じ言葉しか見つからない。

「んーうまー…、しあわせ…」
「…さっきからそれしか言ってないですけど」
「本当に美味しいものを前にしたら、語彙力なんてふっとぶわけよ」
「そうですか…よかったですね」
「…何よ、そのカワイソウなものを見るような目は」

ぽつぽつと会話を交わしながら、日吉もまたぱくぱくと、淡々と食べ進めてはいたけれど、半分食べ進めたあたりから心なしか減速したように思えた。確かに、ここにきてまたスポンジケーキの層は攻撃力が半端ない。挙句溶けたキャラメルアイスを充分に吸い取って、より濃厚な味わいになっている。甘いのが好きでもこれはかなり重い。もう食べれない、とかわいくギブアップするふわふわ系女子が日吉の向こう側に見えて、余裕癪癪の自分が少しだけうらめしく思えた。私と言えば、あんなに高く聳えていたパフェの終着点がもうすでに見え隠れしているところである。底に敷き詰められたコーンフレークの食感がしゃくしゃく面白くて美味しい。

「…早くないですか。食べるの」
「…そうかな…だってパフェってほぼアイスだし、早く食べなきゃ溶けちゃう」
「そういや、たこ焼きのときも同じようなこと言ってましたね」
「よく覚えてるね、日吉…、そんなくだらんことを」

秋に、文化祭で作ったたこ焼きを、アツアツのまま涙目で食べていたら、馬鹿じゃないかと罵られたことがあった。

『火傷しますよ…冷まさないと』
『いいの!』
『は?』
『火傷してでも、熱いものは熱いときに食べたい…!』
『………』
『あれ?呆れてる?』
『……勿論』

身勝手にうれしくなりながら、私は最後のコーンフレークを頬張る。そのあと伏し目がちにたこ焼きにふうふうと息をかけて、慎重に食べる日吉がかわいらしいなあと思ったことを、私は思い出していた。

「覚えてますよ、なんだこのひと、と思ったんで」
「美味しいものは一番美味しい状態で食べるのが作った人への礼儀だと思うんだ」
「猫舌の人に謝って下さい?」
「てか日吉……減ってないよ?もしかしてギブ?」

日吉のパフェ容器は、コーンフレーク直前のバニラアイスの層で掘削中止を余儀なくされていた。満腹…というより、もう甘いものはノーサンキューだ、と脳が悲鳴をあげているんだろうと推察出来る。

「…よく食べきれましたね?」
「うん、意外なまでに余裕でペロリ賞だったよ」
「……へえ、じゃあ、食べさしでよければ残り食べますか?」
「えっ!?いいの!?」

日吉が提案した瞬間、気の利く店員さんが、お済みのお皿おさげします、と私のパフェ容器をかろやかに持っていった。

「てか、先輩…本当にまだ食べれるんですか?」
「うん、だってもうひとつ食べろって言われてるわけじゃないし、コーンフレーク部分美味しいし、つらいなら全然食べる!」

言い出したのは日吉の癖に、躊躇する意味がわからないけれど、まさか本当に食べると言い出すとは思わなかったんだろう。だって食べ物も、辛い苦しいもういらないと思いながら食されるより、美味しいとニコニコ食べて貰えるほうが嬉しいに決まっているし。

「じゃあ…、どうぞ?」
「わーい!!!ラッキー!」

と、パフェの容器を受けとって気付いた。そういえばさっきの店員さんは、容器ごとスプーンまで持ち去ってしまわなかったか。そして今目前のパフェには、当然のように日吉が口をつけたパフェスプーンが突き刺さっているけれど。

「あ……、」
先輩?」
「ありがとう!日吉!いただきます」

ここでまた、狼狽えたりしたら、さっきの件を有耶無耶にした意味がなくなる。と踏んだ私は、内心思い切って日吉の残したパフェに口をつけた。ああ、これってもしかしてもしかしなくても、とか考えていたら甘ったるいパフェの味もよくわからなくなってきた。日吉はパフェの呪縛から解かれてほっとしたのか、いつもよりいささか表情が緩んでいる気がした。顔が熱いのを、気付かれないようにパフェの底を見詰める。バニラとキャラメルがぐちゃぐちゃにまざって、まるで私の心みたいだ。

そして、別にいいけど、なんだか結局、日吉が読みたい本がなんだったのかは、最後まで分からず仕舞いである。



「はー食べた、食べすぎた」
「そりゃそうでしょうよ」
「日吉が辛そうだったから助けてあげたんでしょうか?」
「とてもそうは見えませんでしたけど?」

お会計を終えてお店を出た私達は改めて帰路に向かう。もうすっかり外は暗い。割に長居してしまったようだ。

「結局、本読まなかったじゃん、日吉」
「ああ…、なんだか店の雰囲気にのまれて、出すタイミングを失いました」
「ま、確かに、本読む雰囲気じゃないわな」
「話が違いますけどね?」
「ふふ、ごめんて」

ポンポン、とおなかを叩きながら、憎まれ口を耳に入れる。なんだかとても満たされているなあと思いながら、いい気分の私が、なんだか私の肩をそっと押した。

「なんか、フツーのデートみたくなっちゃったね?」

声が上ずらなくてよかった、と一先ず安心しながら、私はなるたけ平常通りの笑顔を張り付ける。日吉は、と言えば、口惜しいくらいいつもの調子で瞬いて、いささか道化っぽいわたしに瞳を預けた。

「こんなのでよければ、いつでも付き合いますよ?」

しかし、戻ってきたのはどうしようもないくらい予想外の台詞で、俯いてしまいたい強い気持ちと裏腹、ここで瞳を逸らしたら負けのような気がしたからどうすることも出来ない。今私はどんな顔をしているんだろう。せめて、酷い顔でなければいい。

「…寒くなってきましたね」

どうでもいい日常会話で、先に瞳を逸らした日吉は夜空を仰ぐ。




やっぱり日吉はずるい。




夜闇が赤くなった顔を包んでくれることを願いつつ、私は日吉の横顔を眺めている。



 


20161205ひとみのありか
日吉おめでとう^^あとで日吉目線UPします。