【もうやだ たすけて(x_x)】


誰 が 為 に  君  は  啼  く


朝一で送られてきたメッセージの意味がわからず、日吉は困惑した。しかしまあどうせ朝練で顔を合わせれば謎も解明されるだろうと踏んで、朝の用意も慌ただしかったから返信もそぞろに家を出た。一先ず、顔文字を見るにさしあたっての深刻さはなさそうである。
いつも通りいの一番に部室に到着した日吉は着替えを終えて、ストレッチもあらかた終わった頃に顔を出すの影をそこはかとなく気にかけていた。されど待てど暮らせどは来ない。結局朝練がいつも通り始まり、跡部が部員の招集をかける。メニューの説明を短く終えた跡部は最後の最後にぽつりと付け加えた。

は暫く欠席だ」

状況を事細かに聞きたくて悶々としたまま朝練を終えたけれど、聞いたところで「はテメェの女じゃなかったか、アーン」とか言われるのが目に見えているからいけ好かない。朝の思いを撤回してすぐさま本人にことの真相を確かめたくなったが、上級生の教室に朝から赴くのは気がひけるし、登校しているかどうかも怪しい。取り急ぎ【どうしたんですか】とメッセージを返してみたけれど、返信がなくてやきもきした。どうでもいいことはすぐに返信を寄越すくせに、こういうときに限って反応がないとはゆゆしきことだと思いつつ休み時間中液晶を睨んでいたら忽如携帯が震えた。待ちわびていたからの返信だった。

【そのまんまの意味 あと今日無理 あえない ごめん】

(そのまんまがわかんねーから)
(聞いてんだろうが!)

歯痒さに舌打ちをかました日吉は、そこをたまたま隣を通りかかったクラスメイトが驚いていたことをまるで感知していない。

【具合悪いんですね 今日は欠席ですか】

もどかしさをひた隠してそこまでの文字列を送りだした日吉は、流石にこれだけでは冷たいかもしれないと配慮して新たな文字を継いだ。別段、具合が悪いなら放課後の約束なんて無理と言ってくれて一向に構わない。今日を逃せば二度と逢えない道理はないのだから。

【辛いでしょうから、ゆっくりして下さい】

するとほとんど間髪入れずに携帯が震える。メッセージを目視したと同時にチャイムが鳴ったから、日吉は慌てて携帯をポケットに仕舞い込んだ。

【ありがとう 少し元気出た(*^▽^*)】

頬杖で緩んだ口元を隠しつつ、次の授業の教科書に視線を落とした日吉は、風邪かな、とありふれた病名を心に浮かべての苦しむ姿を想像し、それから少々憂いた。元気になったら何かうまいものでも奢ってやるか、と生温いことを考えながらノートを開く。定めて、ここまでは良かった。3時間目の移動教室で、たまたま岳人や忍足と鉢合わせるその瞬間までは。

「お、日吉」
「よお!次体育かー?いいなー!」
「…どうも」

会釈して、擦れ違う。通例をやり過ごした日吉は歩みを緩めることはなく先を急いだ。しかし、岳人が放った台詞に勢いよく踵を返す羽目になる。

「そういや日吉、すげーおもしろいことになってんな!」
「………は!?」
「おもろいて、そない言うたらかわいそうやろ」
「んだよ、侑士も笑ってたじゃねーかよ」
「あれは…はずみや」
「あのひと、学校来てるんですか?」

忍足と岳人は瞬間顔を見合わせ、それから同時に日吉に視線を預け、訝しく頷く。目をぱちくりさせながら日吉は、先のやりとりを改めて思い返してみる。

【そのまんまの意味 あと今日無理 ごめん】
【具合悪いんですね 今日は欠席ですか】
【辛いでしょうから、ゆっくりして下さい】
【ありがとう 少し元気出た(*^▽^*)】

(……確かに言われて見れば)
(休んだ、とは…明示して…)
(ない……けど)

「あれ…なんか…、もしかして、言ったらまずかった?」
「……せやな、この雰囲気は」
「逃げようぜ、侑士」

こそこそっと耳うちしあった2人は日吉に背を向け、廊下を滑るように逃げ去る。日吉が我に返ってあっと手を伸ばしたときにはもう遅く、2人の影はすっかり遠ざかり、他の生徒に紛れ姿を消していた。日吉は本日二度目の舌打ちをかまし、胃の腑の中に悶々としたものを宿しながらさして好きでもない器械体操に臨んだのだった。
倒立ののちの前回り及びバック転を華麗にこなしながら、決戦は昼休み、と、曲のタイトルじみた思いを心に宿した日吉は、授業終了後そそくさと着替えを終えると、弾けるように更衣室から飛び出した。
何が悶々とするかって、自分の出欠席を「あえて」有耶無耶にしたようなきらいがあるところだ。体調が悪いのは判る。放課後の約束も不意にしてくれて差し支えない。しかし、何故対面することをふんわり避けようとしたのか。岳人の言うおもしろいことになっている、という一言と関係しているのは明白だろうけど。

(あえない、って)

露骨に意思表示しておいて岳人や忍足には難なく顔を見せている様子だから何だか腹が立つ。きっと、クラスメイトの宍戸や慈郎ともへらへら話しているに違いないだろう。ネクタイを整えながら連絡通路を抜けた日吉は、3年C組の表札を睨み後ろの扉から内側をそおっと伺った。…の姿は見当たらない。代わりに、どうでもいい人物と何故かバッチリ目があった。

「おっ、若じゃねーか、珍しいな」
「……どうも、宍戸さん」

あからさまに面倒臭いと言う顔を貼り付けて応じたからか、少々引き攣り笑いを浮かべた宍戸は、サンドイッチを片手にこちらに歩み寄ってくる。その間も、予断を許さぬ日吉は教室の内側にくまなく視線を送るけれど、矢張りの影はない。

「お前、昼飯いいのかよ?」
「…ちょっと、さんに用事が」
「あー、かあ」

何故か意味不明に吹き出した宍戸の様子を受けて、日吉の眉が顰められる。岳人といい忍足といい、の話題を出した直後に決まって行われるこのリアクションは何だと言うのだ。

「あいつチャイムと同時に逃げるみてえに教室出ていったぜ?」
「はっ!?」
「なー?慈郎」
「んあー?」

扉の近くで突っ伏して居た慈郎はにわかに話を振られて重たそうな頭を持ち上げる。この人に聞いても何の拠り所にもならないんじゃないか、と日吉は強く思ったけれど、意外にもそのけだるげな文字列は自分にとって意味を成してきたから驚愕した。

「逃げるようっつうか、実際逃げてたC〜」
「お、おい慈郎…」
「…どういうことですか」
「日吉来たら適当にかわしとっ、んぐう」
「だーーーーてめえ慈郎余計なことを!」

宍戸は青くなりながら慌てて慈郎の口を塞いだ。しかし時すでに遅し、先よりも深い皺が、日吉の眉間にくっきりと刻みこまれている。

「………ふうん」
「あっ、あのな、若これは」
「失礼します!」

逃げるよう、とはじめに口にしてしまった時点で失言ではあったが、慈郎にふることで話の広がりを持たせて有耶無耶にしようと言う宍戸の考えは多いにねじまがり失敗に終わった。日吉は身を翻し、颯爽と、多分絶対を探しに向かったに違いない。

「ったくお前が下手こかなければよー」
「あはは、でも別にそんなたいしたことじゃないじゃん!」
「…うーん」

まあ確かにあれしきの頼みなんて至極どうでもいいことではあったけれど、マスクをしたが涙目で懇願して来たことを思い出すとほんの少し気の毒には思える。ほんのわずか、爪の先ほど、蚊の涙ほど、であったとは言え、約束したことが安易に破られたとあっては流石にしがない。

「……ま、いっか!どうでも!」

…とまで深く考えていなかったらしい宍戸はそのまま慈郎の前の座席にどっかり座りこみ、サンドイッチを男らしく頬張った。世界一どうでも良くなった問題とやらをポイと放り投げた宍戸は、ただまあ一筋の情けとして、心の中でグッドラック!と唱えることだけは忘れなかった。




(どういうつもりだ)
(あのひと……)

業を煮やしはじめた日吉は、こうなったらの留まりそうな場所をしらみつぶしに探してやると奥歯を噛み締めた。曲りなりにも彼氏という実権(?)を握っている自分が相手に避けられているということが露呈されたのだ。わざわざ根回しまでしているところがあざとくて余計いやになる。こうなったら意地なので、梃子でも真相を引き摺りだしてやろうと心に決めた日吉はうすら笑いを口元に湛えつつ廊下を闊歩した。ひとまずが財布のあたたかなときおもむいているカフェテリアに足を運んだ日吉は、先刻同様切れ長の目を皿のようにした。教室よりだだ広いカフェテリアは探すのも骨だなと思いつつ席の合間を滑りぬけていたらまた望んでいない声が後頭部にぶつかる。

「あれー、日吉じゃない」

振り返ろうか無視しようか一瞬悩んだけれど、そこまで非道になる必要もないから渋々後ろを確認した。丸テーブルには見覚えのある影がふたつ。しかし滝と鳳とは見馴れない取合わせである。滝はひらひらと優雅に手を振って、日吉を呼んだ。これまた渋々とそちらに踵を返した日吉は、嫌々であることが剥きだしの顔のまま空いている椅子にどっかりと腰かけた。

「珍しいですね、2人一緒なんて」
「惜しかったねー日吉」
「…何がです?」

の所在を尋ねようとしたら座るや否や滝が口火を切る。その滝がどこか見たことのあるせせら笑いを浮かべているからまさか、と言う所感が胸を過った。そして、そのまさかであった。

「さっきまで先輩がそこ座ってたんだよ、俺のこと呼び止めたのも先輩だったし」
「やっぱりか…、くっそ、一足遅かった」
「何?日吉のこと探してたんだ?」
「…はい、どうやらあのひと、俺から逃げてるみたいなんで」
「フーン」

滝はしなやかに頬杖をつくと、ピリピリした日吉の面立ちをじいっと見遣る。居た堪れないし、はっきり言ってもうここには用がないから早々に立ち上がりたいのだが、滝の威圧がまだそれを許していない、気がする。隣の鳳は、何やら苦笑い気味だ。

「まあ、逃げたいのも無理はない、けど、探したいなら止めないよ?」
「うん…確かにまあ…あれは…ちょっと」
「………なにが…そんなに…」

えも言われぬ雰囲気にたどたどしく疑問符を浮かべる。えっとそれは、と言いかけた鳳を制して、滝がまったりとした口調で応答した。

「そこは黙秘権、俺らはあくまで中立だからね」

巻き込まれた鳳は一瞬目をぱちくりさせていたけれど、日吉の鋭い瞳を受けて慌てて頷いた。なんだかもうここまでくるとひとりの策略(というような大袈裟なものではないがもはや日吉の中ではそこまで誇張されている)ではなく皆グルになって自分を嵌め落とそうとしているのではないかという疑心暗鬼な気持ちさえ生まれて来る。

(……もういい)

短時間で、何だかひどく体力を消耗した気がする日吉は、それはもう深い溜息を丸テーブルの上に落として立ち上がった。とりあえず何か食べよう。思考能力が低下しているから苛々しているだけかもしれない、と思い立った日吉は、カフェテリアのレジスターの方向へふらふらと向かっていった。

「結構おもしろいね、アレ」
「滝先輩…かわいそうですよ」






(なんだって言うんだ)

昼食を終えた日吉は血糖値が上がっても尚納まらないモヤモヤを腹に溜めながら重い足取りを教室へ進めていた。思い返せば、最初のメールでは俺に助けを求めていたくせに、というところまで遡って思案してしまう自分は女々しいかもしれない、と考えていたら、忽如黄色い声が鼓膜を叩く。いつのまにか垂れていたこうべをあげると、自分の辿る廊下の向こう側に吐き気がするほど華やかな人影が見て取れた。

「よお、日吉じゃねーの」

頗る良い視力を以って遠くから自分を目視したらしい跡部に、(聞こえないのをいいことに)今日一番の舌打ちをしてのけた日吉は割と深めの一礼を返し、あくまで見目だけは良い後輩を装って見せる。わざわざ女の群れを蹴散らした跡部はいつも通り意味もなく慢心に満ちた顔を貼り付けながら佇んでいた。樺地は、この後の授業のためにか、先の日吉と同じ類の礼をして、入れ替えのように跡部の傍から立ち去った。

「どうした?シケた面しやがって」
「…別に…」
のことか」
「…何も言ってないですけど」
「顔に書いてあんだよ、テメエは特に判りやすいからなあ、日吉」

人を怒らせるために生きているんだろうか、この人は、と思いながら日吉は苦い笑みを漏らす。ああそうだよ畜生うるせえなと言うような悪態が胸をひしめいたけれど、決して咽喉を通さないよう配慮した。

ならさっきまで俺様んとこでいびきかいて寝てたぜ」
「は、はあっ!?」
「保健室じゃ落ち付かねえっつーから、生徒会室のソファ貸してやったんだよ…そう興奮すんな」

思わず身を乗り出してしまった自分は不覚だなと顧みてのち、日吉は不甲斐なさに唇を噛んだ。跡部は咽喉の奥でクッと笑い、日吉の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。

「…寝込み襲ったりしてねーから安心しろよ」
「ちょ…勝手に人の心ん中推し測って適当なこと言うのやめて頂きたいんですが」
「まーともかく、あれじゃ暫く部活にはこれねーな」
「……まただ」
「……あん?」
「いえ、こちらの話です」

の身に何があったのかを、自分だけが知らない。他の連中には自分から接触を試みている様子なのに、これでは本格的に自分だけ除者だ。たすけて、と携帯メッセージで告げられたあの拍子に直ぐにかまけていればこんなことにはならなかったのだろうか。と考えるも既に後の祭であるし、どちらかと言えば直接逢って話を聞きたいという自分の性格上、どうあがいてもそんな細やかさは持ち合わせられる自信がない。電子的なやりとりは利便性に特化しているとは言えまどろっこしくてどうも苦手だ。だからまあこうして逢うために画策していたわけなのだけれどこうも避けられていると流石に心も折れる、と言うか萎れる。

「避けられでもして凹んでんのか?あん?」
「あんたのそういう無神経なとこ、マジで尊敬します」

いい皮肉だな、と軽い調子でいなした跡部は、荒された御髪を撫でつけている日吉の、決して良好ではない顔色を確認して、軽い息を吐く。大事なホープの精神衛生を守るのも部長の役目だ、とかなんとか考えていたのかもしれない。

「日吉、今日は休んでいいぞ」
「……………はい?」
「部活だよ、きっとあいつは裏門から帰ろうとしやがるからな、チャイムと同時に駆けてって、待ち伏せろ」
「逢いたくない、と思われてますが?」
「バーカ、逢いたいけど逃げてんだろうが」
「…言ってる意味がよくわかりませんが」

途端、授業の予鈴が2人を包む。跡部は、おっと、と小さく零して、去り際に日吉の肩を軽く叩いた。

「好きな女の本心もわからないなんて、まだまだだな?日吉」
「…跡部部長みたいになるなら、まだまだで結構です」
「言ってろ」

(うざい)
(マジで)
(余計なことを)

離れて行くかかとの音を背中で聞きながら、日吉は進行方向に歩きだした。知った風な口を聞かれて不快だったけれど、よもや言われたことをそのまま実行に移そうとしているから自分も救えない。背中を押す、と言う表現を状況に当てはめたら、ぞんざいに背中を蹴られたような気分である。何とはなしに携帯を確認したら、なんとからメッセージの着信が見受けられた。開いて見ると、ありがちな文字配列が液晶に浮かびあがる。多分教室に戻り、宍戸から一連を聞いたのだろう。

【ごめん みのがして】

…往生際が悪い。




担任のことは嫌いじゃないけれど、話が長いことは難点だと思いながらは教室を飛び出した。遠回りになるけれど、こんな折は裏門から出るに限る。時は金なりをふたつ目くらいの信条にする日吉は時間にシビアだから、きっともう部室に向かっているはずだ。

、早く治せよ!」

D組の前を通り過ぎる折、たまたま擦れ違った岳人が笑い交じりで背中を叩く。うるさい、言われなくてもそうしてやる、と思いながら後ろ手を振ったは、階段を滑るように降りると、昇降口を抜け、裏門の方角へと駆け出した。

(あー日吉)
(怒ってるよなあ、日吉)
(ごめんねごめんね)

出欠席を不明瞭にしたこと、教室から逃げたこと、これらふたつはもはや完全に日吉の怒りを買っていると断言出来た。言い訳を構築するも、どれも火に油ではあるまいか、と思うと血の気が引いた。

『本当は逢いたいくせに、素直じゃねーな』

と言うのは跡部の弁だが、仕様がない。元はと言えば逢っても差し支えないだろう、と言う気持ちをことごとく折っていったのは部活の面々であり、跡部もそれには違わない。腹を抱えて爆笑されること複数名。これでは暫く身を隠そうと思うのが女としての道理ではあるまいか。確かに説明をひとつもせずに逃げ惑った自分に大きな責任はあるけれど。ひとまず言い訳は後で考えるとして今日は流石にどうしても日吉と話す気になれないからかちあう前に帰るのが吉だ。気付けばもう裏門は目の前で、ほっと胸を撫で下ろしながらは学園の外に踏み出し、途端にからだを失速させた。
…のが運の尽きだった。左わきから伸びてきた腕に驚いたのもつかの間、の細い手首は安易なまでにその手中へ収められる。ひどく驚いてかぶりをあげると、眼下には自分が今一番対峙したくない人物がしたり顔で佇んでいて、は声もなく蒼白した。自分の手首を掴み動きを制したのは、日吉以外の誰であるはずもない。

(ばんじきゅうす…)

背中にじとりと汗をかくのを覚えながらマスクの中で口をぱくぱくさせると、日吉はまあるく見開かれた瞳を嗜めるように見下ろして咽喉の奥でフン、と笑った。振り払おうと少々あがいては見たけれど、歯が立たないことは言うに及ばない。

「随分とお急ぎのようで?」
「……」

あからさまに鋭い口調で言ってのけられて、背中の汗がいちどきに冷たくなった気がした。いかにも悪役ですと言った風な日吉の前では、どんな弁明も意味がない気がして恐ろしくなる。その前に、一体全体なんでここに来ることが判ったんだと問い質したいところではあったけれど、それすら躊躇われた。とにもかくにも、今日吉と一文字足りとて言葉を交わしたくない。出来ることなら隙を見て逃げ去りたい。しかし、十中八九を超える勢いでそれは不可能に決まっている。

「…学校来てること隠そうとしましたよね?」
「………」
「なんで隠したんです?」
「………」
「っていうか、あそこまであからさまに避けられると流石に傷つくんですけど?」
「………!!!!」
「俺、何かしましたか?」
「………」
「何か言ったらどうなんです?」

言葉尻に怒りを孕んでいるのが判って、大概心が折れそうになったけれど、それでもは口を開かなかった。ただふるふると頭を大きく降ったり、ぺこぺこと頭を下げるのみである。

(…なんのつもりだ)
(このひと…)

思わず手首を留める指に力が入って、が一瞬痛みを顔に露呈させる。はっとして一瞬手の力を緩めたら腕を振り払われたからしまったと思ったけれど、諦めたのか、は日吉から少しだけ距離を取っただけで決して逃げだそうとはしなかった。嘆息した日吉が腕組みをしたまま詰め寄ると、は遺憾そのものみたいな瞳でこちらを見上げて来る。観念したのか、と思ったけれど、相変わらず弁明のようなものはなにひとつとして述べられないからもどかしかった。

「…さん?」

言葉尻は相変わらずきつい。北風と太陽で言うところの北風にしかなれない自分も歯痒いけれどこれはもう性分だから致し方ない。…と言うようなことを考えていたら、眼下の瞳がうるりと揺れたから驚いた。

(泣く!)

と思うや否や、が途轍もない勢いで胸に飛び込んできたから一瞬息をするのを忘れた。裏門、と言えど人はいて、居た堪れないことこの上ないけれど、多分今はそんなことを言っている場合じゃない。

「っ…、さ…」
「…………んなさい」
「……………はっ!?」

胸の辺りでくぐもる声に違和感を覚えた日吉は少しのいとまの後混乱した。
何故か。

の内側から、の言葉で、でない誰かが声をあげたからである。

「…いやなおもいさせて、ごめんなさい」
「はっ、え!?さん、声っ!?」


『そういや日吉、すげーおもしろいことになってんな!』
『まあ、逃げたいのも無理はない、けど、探したいなら止めないよ?」
『うん…確かにまあ…あれは…ちょっと』
『まーともかく、あれじゃ暫く部活にはこれねーな』




(こういうことか)




日吉の胸の内側で震えるは耳を真っ赤にしながら羞恥に耐えている。ああ今自分の声を聞いた日吉は一体全体何を思っているんだろう。出来れば聞かせたくなかった。風邪でしわがれて、まるでおっさんみたいになった自分の無様な声色なんて。

「………昨日の夜酷い熱が出て…朝起きたら、こうなってたの」
「………なるほど」
「………日吉に報告しに行こうかと思ったけど」
「………はい」
「みんなにむっちゃくちゃ笑われたから、心が折れた」
「そういうことですか」

言い様はまごうことなきながら、纏わりつく声のトーンはまるで違う人間のものにしか聞こえないから戸惑った。これを受けた岳人や宍戸、忍足や慈郎がどんなリアクションを取ったかなど想像に容易い。事実、は宍戸に挨拶の折大絶叫され、慈郎に『悪夢見そう』と苦い顔を浮かべられ、岳人に『の中におっさん住んでるー』ともんどり打つ勢いで笑われて、忍足には『ギャップ萌えやな?』と含み笑いで皮肉を言われ、滝には『ご愁傷様』と要らないいつくしみで頭を撫ぜられ、長太郎に世界の終わりみたいな顔で絶句され、最終的に樺地が持っていたティーセットを落として割ったのち、間髪入れずに跡部の『笑えねえな?』である。既に最初の3人目あたりでヒットポイントがゼロに近かったはコンティニュー回数も既定を超えすっかりゲームオーバーであった。日吉に逢ってこの辛さを訴えたい、慰めてもらいたい、と朝のうちは確かに思っていたけれど、心は完全なる複雑骨折を遂げ、最終的に嫌われるんじゃないかと言う類の疑心暗鬼に陥ったは、何がなんでも日吉に逢うわけに行かない、と言う考えに至った。ただ、逢わないほうがいいんじゃないか、と思う理由はもうひとつ所持していたけれど。

「…それに日吉、来週誕生日でしょ」
「ああ…そうですね」
「こんな酷い風邪移したら申し訳ないし」
「はあ…」

小さな肩をぽんぽん、と叩きながら天を仰いだ日吉は偉く胸を撫で下ろした。一体全体何がいやで執拗に避けられているのだと悶々としていたけれど、蓋を開けて見れば他愛もない。何か複雑な事情があるのかもしれないとあまたを推察していた日吉にして見れば、拍子抜け甚だしく、には悪いが、途轍もなく小さな問題であった。

(この後に及んで)
(水くさい…)

「そんなこと隠し立てするくらいなら物臭で杜撰な性格改めて下さい」
「うっわあ…手酷い」
「手酷くもなります、下手な杞憂で時間を浪費しました」
「だから…逃げなかったじゃん」
「当然でしょ?」

はあ、と改めて息を漏らした日吉は、ぺし、と軽くの頭を叩いた。あた、と啼いたは涙目で恨みがましく日吉を睨むけれど、何か文句でもあるのか、と言う表情で見下げられて声もない。しかしまあ日吉がそうであったようにの思っていたこともあらかた杞憂で、取るに足らないことだったと思うと身体の力が抜けた。馬鹿みたいだな、とマスクの内側で自嘲していたら、途端翻った日吉に掌を掴まれる。

「…ほら、具合悪いんだから、早く帰りますよ、さん」
「あれ、日吉部活は?」
「……部長に来るなと命じられたんでね」

(……跡部のやつ…)

何だか病気明けさんざんなことをねちねち言われそうだなあと思ったけれど今はとりあえず考えないことにして、日吉の指を握り返す。隣に落ち着いたをちらり、と見た日吉にいささかの悪戯心が沸いた。

「それ以上酷くなったら流石に……………」
「さ、流石に、なに!?」

中途半端に言葉を止めた日吉は、口角をあげて判りやすく笑みを作る。それだけで、の心がざわつくことを知っていた。

「………なんでもありません」
「な、何それ!言ってよ」
「そういえば、生徒会室でぐーすか寝てたそうじゃないですか」
「話逸らす!?ここで!?」

噛みついてくるが面白くて仕様がないけれど、掌に感じる体温はいつもより熱い気がして甚だ気掛かりである。さっさと家に送り届けるのが吉だな、と内心頷きながら、日吉は裏門の辺りに先までの懸念を投げ捨て、の手を優しく引いた。







【うらみます】

ひどく物騒なメールを朝から受信したは背筋が凍った。いやな予感がしない、と思いながら朝練に向かったら、案の定日吉は休みである。まさか。

朝のホームルームの前にそそくさと2年の教室棟へ足を運んだは、F組の前の廊下で日吉を待つ。するとほとんどいとまを置かず、廊下の向こうから日吉がむすっとした表情で歩いて来る。とは言え、顔はマスクで半分隠れているけれど。

「………!」

をみとめた日吉は一瞬その場に竦んだけれど、それからはさらなる勢いで猛進した。その勢いたるや一入で、は今度こそ逃げてしまいそうになったけれど今日ばかりはそうも行かない。

「ひ、ひよし…」
「…………」

非難の瞳で見下す日吉に固唾を飲んで、は恐れつつ、今日一番に言うべき言葉を舌に乗せた。

「は…ハッピーバースデー!」
「…ぜんぜんハッピーじゃないですけど…!」

言うまでもなく

日吉の声は掠れ切っていては思わず口を塞いだ。それから継がれた台詞は、ありあまる薄情さを孕んでいたから救えない。

「やばい………うける」
「……本気で叩かれたいですか」

最悪の誕生日だ、と、このとき日吉が思ったかどうかは知れないが、一先ず咽喉の風邪は部活メンバーをあらかた苦しめ、恐怖のウィルスとして暫く語り継がれた、らしい。

を振り払って教室に戻った日吉がポケットの中のトローチに気付いたのは、2限目が終わりを告げる頃だった。

(…いつの間に)

油性ペンで梱包にかかれた「おめでとう おだいじに」の文字に思わず笑みを漏らして、日吉はトローチを口に放りこんだ。ありがとう、とましな声で言えないことだけが、もどかしい。



 


20131205 誰が為に君は啼く
Wakashi happyhappyhappybirthDAAAAAAAY!