ひ よ し ―

ペンギン印の大型量販店よろしく、うず高く積まれた代物たちにまみれながら、日吉は自分を呼ぶ誰かの声を遠くで聞いた気がした。定めて外からだろう、とは思ったが、辺りを見回しても骨董品(中には真実味を帯びてそう呼べるものもありそうだが、実のところ半部以上は値段のつけようもないだろう)の山しか見受けられなくて、日吉はうんざりしながら仄暗い物置の中をかき分けて奥へ、奥へと進んでいく。そこには唯一の採光とも言える小窓が誂えられている。埃っぽい窓枠に手を伸ばした日吉は、磨り硝子の引き戸を開けて、格子の左奥に見える昔の母屋へ視線を送り、ハーフフレームの眼鏡を軽く持ち上げる、そこの濡縁に見覚えのある影が見とめられたから驚いた。

「ひよしー!?どこー!?」
「はあっ!?」

上体が崩れて、思わず傍の山を倒壊させそうになった。しかし、目前でちょこまかと動く小さい人影――見間違えるべくもないテニス部の元先輩マネージャーが何故ここにいるのかと言う疑問が先行して、あわや大惨事となりかけた左手側の崩落などすでにどこ吹く風である。何故この、僧侶も走るが所以とも言われるくらいくそ忙しい師走の末、藪から棒に彼女は現れたのか。

「あれ、今なんか聞こえた気が…」

物置は使わなくなった過去の厨で、本当はしっかりと勝手口が誂えられているのだが、言うまでもなく物で埋め尽くされ、塞がれていた。

「ッチ…」

日吉は今にも何かやらかしそうなをちらちらと確認しながら、意を決して再び古道具の山を掻い潜る。縁側に出るには、廊下から道場を抜けて大廻りをしなければならない。記憶が正しければ、先刻道場には父の生徒が数人顔を見せていた。年頃の息子に女の子が訪問、と聞けば放っておいて欲しくても放ってくれないのが世の常と言うところである。そういう間柄なのが実話だから余計に決まりが悪い。何かと揶揄されるのも面倒だし、には是が非でも動かず騒がず留まって欲しい、出来れば早々に帰宅して欲しいと言うのが日吉の切なる願いだった。
物置の狭い入口をようやく抜けて、廊下から道場の人影を確認した日吉は、改めて大きな息を吐く。そうして同時に昨日の夜のやりとりを思い出す。今の状況を傍から見ると、昨日の夜のメールは一体全体何の意味があったんだと業の煮える思いだった。


20XX/12/29 22:25
From: 
Sub:ぴよっぴー!
Text:あのよう、明日って忙しい(?_?)

20XX/12/29 22:42
From:日吉 若
Sub:こんばんは
Text:はい、年末らしく一日部屋の掃除をします。

20XX/12/29 22:44
From: 
Sub:えー!
Text:大晦日にしないの?

20XX/12/29 22:50
From:日吉 若
Sub:Re:えー!
Text:大晦日は家の大掃除を手伝います。

20XX/12/29 22:53
From: 
Sub:まじめか!
Text: じゃーもう年末は会えない系ですか。ぐすんぐすん。

20XX/12/29 22:59
From:日吉 若
Sub:Re:まじめか!
Text:すみません、何かありました?

20XX/12/29 23:00
From: 
Sub:別にないけど(=_=)
Text: さみしいなう!(;∀;)

20XX/12/29 23:03
From:日吉 若
Sub:Re:別にないけど(=_=)
Text:元日、初詣で逢いましょう。

20XX/12/29 23:05
From: 
Sub: おけ。
Text: またメールするし(*^o^*)/
大掃除がんば^^おやすみzzz

20XX/12/29 23:12
From:日吉 若
Sub: おやすみなさい。
Text: 何かあったら、俺からも連絡します。


(言ったよな、俺)
(忙しいって、言ったよな!?)

胸のもやもやを抑えつつ、道場を何食わぬ顔で通り抜けようと試みたが、ものの見事に道場の生徒から声がかかる。まあ別段いつもなら気にも留めずに会釈するだけなのだが、今日だけは妙に居心地が悪い。

「こんにちは、若くん、掃除かい?」
「…はい」
「明日は道場もやらなきゃいけないだろ?大変だねえ」
「はい、でも、毎年のことなのでもう慣れました」

焦っていてもたわやかなのは流石だが、焦れないのも面倒だと日吉は思って、早々に会話を終わらせようと、頭をさげて、では、これで、と区切りをつけた。するとだいたい相手も空気を読んで頭を下げることを知っている。今年も大変お世話になりましたと丁重付け加えた日吉は、目的の方向へ身体を反転させ、安堵の息をついた。そこまでは良かった。
「あーそうだ、日吉くん」
「…はい?」
「さっき表玄関のほうに可愛い子が来てたけど、アレ、まさか若くんの彼女?」

ぴたり。
と、日吉の内側の時間が止まる。そののちやけに緩やかな浮上してきたのは、後の祭り、というありふれた諺だった。人の良さそうな顔で笑んだ(きっと実際人はいいに違いないが、このとき日吉にはいささかの色眼鏡が装着されていて判断が不明確であった)生徒は、あはは、やっぱりそうなんだ、と継いで、いいねえと頷いた。後ろ手で必死に隠していたものをいとも簡単に暴かれて、居ても立ってもいられなくなった日吉は、失礼しますと踵を返して、そこからどうやっての居る濡縁まで辿り着いたのか、余り覚えていない。

「あ」

だが、がこちらに気付き、視線を交わしたその瞬間に、余りあった羞恥心だけは急激に沸点を超えて、日吉は青くなり、それから赤くなった。

「あはは、どうしたの、日吉うける」
「どうしたのはこっちの台詞だ!」
「き…、来ちゃった!」
「忙しいって言ったと思いますが!!!!!!!」
「う、うん、あんまりにも忙しそうなら様子だけ見て帰ろうって思ったんだよ?でも玄関の前ですぐひよママに見つかって、あらあらまあまあ若がいつもお世話になってます、いえこちらこそ!どうぞあがって!いえ、約束してないですし、忙しいかもしれないんで!大丈夫よ、あの子さっきまで縁の縁で本を陰干ししながらぼうっとしてたから!…ってな感じで背中を押されて今に至りますよ」

(か あ さ ん … !)

ここで宍戸あたりならあのクソババアとか言う暴言が飛び出してもおかしくはないが、そこはやはり日吉と言ったところか、の一人芝居を受けてから、ぐっと拳を握りしめて沈黙するのみだった。わなわなと震える日吉にもたもたと歩み寄る。顔を覗きこまれる気配を覚えたから、いつのまに閉じていた瞼を薄く開くと、が小動物のような表情でこちらを見上げていた。つついたら、きゅんとでも鳴きそうだ。

「ご、ごめんね、怒ってる、よね?」
「もう、いいです」

なんだか急激に馬鹿馬鹿しくなってしまった日吉は、肩を落とすついでに縁側へ腰を落ち着けた。傍らには先刻陰干しを始めた本が横たわっている。逆隣にを促すと、にこりと表情を解して、日吉の左となりに腰を据える。寒くないですが、との問いに、ふるふると首を振りながら、は日吉の眼鏡の縁にかかる前髪に手を伸ばした。

「おやおや日吉くん、頭に胞子……ほこりがついてますよ?」
「…やっぱり怒られたいのか?」
「ふふ、大掃除お疲れ様です」
「…どうも」

生成りのパーカーに付着した埃を払いながら、日吉はわざと不満気に呟く。本当は怒ってないのを知っているから、はにたにたと上機嫌である。日吉は、なんだかいつもそれが気に食わない。

「働き疲れたときには甘いものやで!じゃーん!」

なぜか忍足口調で物申したは、斜めがけバッグの中からペットボトル大の魔法瓶を取りだした。何故関西弁?と日吉がつっこむと、ええからええから、と調子に乗っておもむろに魔法瓶のキャップを開ける。コポコポと言う耳に心地良い音と共に、キャップに濃いチョコレート色の液体が注がれる。脳髄に痺れるほどの甘い香りが濡縁を包み、なんだかそれだけでわずかに暖かくなったように錯覚する。

「ほら、去年の引退後、部室に持ってきてたちゃん特製ココアですよ!」
「……そうでしたっけ?」
「あ、ひど!ココアあんまり好きじゃないとか言いながら、最後の一杯飲み干したくせに!」
「冗談です、覚えてますよ」

それはまだが自分と同じ部室内で狎れ合いを許される先輩後輩だった頃だ。蒸せるように部室に広がった甘い匂いに、始めは顔をしかめていたものの、奨められてしぶしぶ飲んだココアは思いの外甘くはなく、どちらかと言えばビターで、濃厚で、とにかくとても美味しかったのだった。分量よりココアパウダー多めにぶっこんで、生クリーム足してるの!と自慢気に話したは、もうほとんど残っていないとは知らず旨いと誉めた日吉に(舞い上がって)お代わりまで差し出し、すぐに自分の分が残ってないことに気付いて泣きを見たのである。

「これは好きなんです」

の左手からそれを受け取った日吉は、微かな息で絶え間ない湯気を蹴散らす。ほんのわずか、眼鏡が曇って鬱陶しそうに瞬く様を、はじっくりと見つめている。

(まつげ長いなあ)
(レンズにくっつきそう…)

痛いほどの視線を黙殺して(定めていつもの光景である)、猫舌の日吉は慎重にキャップへ唇を寄せた。

「美味しいですか?」
「はい、とても」

レンズの奥で緩められた目元に、の心臓がどきりと高鳴る。そして、ああこの瞬間のためだけに今日自分は目覚めてココアを作ってここまでやってきたんだと言うことを痛感した。

(わたしって健気だなぁあ)

声に出したら、傍で陰干しされている広辞苑を差しだされそうだったので、断じて声には出さず、は日吉がココアを飲み干すまでをちらちらと観察していた。日吉は最後のひとくちを飲み干すと、一際白い息を吐いて、指先で軽く唇を拭う。その仕草にまたどきりとして、動揺したはごちそうさまの一語をうんうんうんと変に聞き流す格好になった。

「…挙動不審」
「…えへへ」
「何よからぬこと考えてたんです?」
「…言ったほうがいい?」
「…聞いてみないことには、なんとも」

肩をすくめて、日吉はキャップを傍らに置き遣る。そして、改めて、なんですか、と疑問を舌に乗せた。は暫くあーとかうーとか声にならない声をあげていたけれど、日吉の視線に耐えかねたのか、いよいよ明瞭な言葉を声に起こした。

「わたしたち、って、恋人同士ですよね?」
「…………はい、そうですね」
「ちょっと何なのよその意味深な沈黙は!」
「何を今更、と思っていました、すみません」
「あ、そう、ならいいんだけど」

どうでも良さげな緊張と緩和が訪れて、間の抜けたは、まあまあおひとつと魔法瓶を傾ける。日吉は眉間の皺を濃くしながら、キャップを差しだした。

「…で?」
「あーいやー」
「ここまで言ったんだから、言って下さい」

日吉は焦れながら、二杯目のココアを口に含んだ。

「…わたしたち、ちゅーとかしないんですか」
「!!!!っぐ、っふ、げっほげほ!」
「あ、なんかごめん」
「きゅ、…んな、ゆっ、ごほっ」

絶妙の(ありえない)タイミングで爆弾を落とされて、見事に誤嚥した日吉は派手にむせ返った。しかも気管に入り込んだのは濃厚なココア溶液である。悶絶から抜け出すのは容易ではない。

(急に何言ってんだ、このひと…!!!)

煩悶と苦悶がない交ぜになって耳のあたりに熱の塊が昇ってゆくのを感じる。おくゆかしさとか、しとやかさとか、そういうもの以前の問題発言は傍若無人の最たるものであったが、詰め寄った手前、日吉自身も強く批判できないのが痛いところだ。当のはというと、大丈夫―?などと言いながら軽く日吉の背中を撫ぜている。自分とは打って変わってけろりとした様子のを悔しく思いながら、日吉はやっと整った咽喉に思い切り息を吸い込んだ。

「そうですね、じゃあしましょうか…」
「えっ!?うん!」
「…ってするものではないと思いますが!?普通!!!」
「なんだよ!喜んで損した!」
「っ、…、…っていうか普通女のほうが大切にするもんだろ!?雰囲気とか空気感とか!」
「普通普通って知らないよ!したことないもん!」
「…威張ることじゃありません、と言うより…」

(だったらなおさらだろ…)

言いかけて、やめた日吉は、飲みかけのココアを一気に煽る。外気の所為で、すでにアイスココアさながらだったが、何故か汗ばむ今の日吉にはうってつけと言えよう。肩肘でついた頬杖で、赤らんだ頬に触れた自分の冷え切った右手すら心地良い。一方はくそくそー、と今度は岳人の真似をして、唇を尖らせる。しかし、悪戯っぽくいじけて見せたかんばせの奥に、僅かな憂いが感ぜられた気がして、日吉は刹那のみ刮目した。

(まさか、な)

脇見をして、気を逸らしてみたけれど、結局推し量ってしまうのは、結局惚れた弱みと言うところだろうか。思えば、先輩後輩と言う関係性に終止符を打って、もう3ヶ月が経過する。こまやかさがあるほうではないと自負できる自分は、彼女の気を揉ませていないだろうか?

(だから、と言って)

今ここで、のいうとおり「それ」が実行できるかと言えば、それは日吉にとって別問題である。場所とか、雰囲気とか、…心の準備とか。とりあえず今はそれら必要な要素が何もかも足りない。曲りなりにも女であるに拙くともお膳を立てられてる現状で逡巡するのは、忍足に言わせればヘタレであり、宍戸に言わせれば激ダサなのだが、日吉には日吉の美学があるのだから止むを得ない。

「…かえろっかな」

ぽつり、と吐き捨てるように呟くは、矢張り少々虚ろ気で、本人も不覚に思ったのか、慌てたようにあんまり長居しちゃうのも差し支えるしね!と流暢めいて繋げる。

「玄関まで送りますよ」
「うん!頼む!」

すっくと立ち上がったにつられて、上体を傾けた日吉のパーカーのポケットから不意に何かが音を立てて、ごろりと、縁側の板敷きに転がった。

「あれ、日吉何か落ちたよ」
「あ、すみません…」

日吉より先に、得体の知れない落し物に手を伸ばしたは、手のひらに収まったそれをしげしげと見つめた。

「なにこれ、すずめ?」
「あー…、多分」
「多分って、何それ!」
「さっき物置の整理をしてたら見つけたんですよ、何だろうと思って見てたら、先輩の声が」

鳶色をしたそれは雀を模した瀬戸物で、大きさと形状から推測するに定めて書道用の水差しであった。背中の穴から水を入れて、くちばしから差せるような構造になっている。尾羽の部分が、ほんの少しだけ欠けていたが、これは物置のがらくたの中でも本物の骨董品と呼べた。暗がりの中でこれはなんだろうと眺めていた日吉は、の声が聞こえたのを受けて、ふとそれをパーカーのポケットに突っ込んだのだった。

「書道で使う、水滴ですね、きっと」
「ふーん、よく見るとすごくかわいいね、まるまるしてる」
「……………欲しいですか?」
「うぇ!?いいの、おうちのでしょ?」
「平気ですよ、父のかもしれないですが、きっと物置にあることすら忘れてます」

何か言われたら、どうせ使わないんだからいいだろうって丸め込んでおきますよ、と続けると、強いな次男!とはけたけた笑った。日吉は何だか少しほっとして、強張っていた頬の筋肉を脱力する。

「あんな埃っぽいところにあるより、先輩が貰ってくれたほうが雀も喜びますよ」
「ありがと……たいせつにするね!」

の部屋の一角で、ぬいぐるみやそのほか可愛いキャラクター物に紛れながら、瀬戸物の雀が鎮座している絵を想像して、日吉は可笑しくなった。ふっ、と笑みを零すと、なんだよいやらしいな日吉は、と難くせをつけられたので立ち上がって髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回す。やめてやめてと静止しながら、はなんだかひどく嬉しそうだ。そんな顔を見ていたら、今日逢えたことも満更ではない気がして、俄かに来てくれてありがとうという類の言葉が口をつきかけたけれど、調子に乗せてはよくないと胸のうちに押し留める。

「先輩、魔法瓶、忘れないで下さいね」
「ああ、そうだった!」
「はい、キャップ」
「ありがとー…、最後に私も飲んでいい?」
「先輩のものですから?」

斜めがけバッグに雀が仕舞われてのち、縁側に三度目の湯気が立ち上り、さほど猫舌でもないはすぐさまココアに口をつける。ふたくち、みくちで平らげて、うん、やっぱ旨い、と自画自賛したは、クリームのような息を吐きながら魔法瓶のキャップを閉める。

「今日の…、ううん、今年のところは、このすずめと、今の間接キスで許してやろう!」
「……………恐縮です」
「お、素直」
「いつも素直ですよ?俺は」

どのくちがー!と言うの手を取ると、妙にあたたかくて驚いた。こんなにあたたかく感じるのだから、自分の手はさぞかし相手に冷たいのだろうと思うけれど、はどこ吹く風で力を篭めてくる。いとおしいなと心で呟いて、日吉は来年への布石のような、抱負のような、挑戦のようなものをその胸に滲ませた。


                            
暮れなずむ冬のパッセージ


手を繋いで睦まじく歩く姿を、先の生徒に見られていたことを知るのもまた、来年の話。


 


20130111 暮れなずむ冬のパッセージ