明日締切のレポートのことを、日を跨ぐ直前まで忘れていたから、泡を食った。慌てて片付けたはいいものの、時刻はもうすでに丑三つ時と呼ばれるあたりを指そうとしている。流石に肩が痛い。
さんは、と言うと、日を跨いで暫くはリビングダイニングのソファ(俺の隣)でテレビを眺めながら俺の作業を面白おかしそうに監視していたけれど、暫くしたら肘掛にもたれて寝ていたから、風邪引くぞと叩き起こして無理やり寝室に押し込んだ。まどろんでいるのが心地よいのか、最初はやだーとかむにゃーとか寝言めいた抵抗をしていたけれど、寝室に閉じ込めて扉を閉めたらうんともすんとも言わなくなったところを見ると、そのままベッドに倒れていびきをかいているに違いないだろう。
レポートを大学のパソコンにメールで飛ばし、念の為部屋のプリンタで出力して、それらを眺めつつ歯を磨く。誤字脱字は見受けられたが、それは大学で修正するとして、今日はもう就寝だ。なんと言っても瞼が重くてこれ以上の作業は出来そうにない。あくびをかみ殺して洗面所に向かってから、ふらふらとした足取りで寝室の方向に舞い戻る。眼鏡を外して扉を開けると、常夜灯の内側で、さんはすうすうと寝息を立てていた。意外にもちゃんと布団に包まっている。ただ、文句を言うことがあるとするならば、これからベッドに入る人間のことをまるで考えない位置で寝ていると言うことだ。こんな手前で寝られたら、跨ぐか押しのけるかしないと横になれないじゃないか。
申し訳ないと思いつつ、肩に手を這わせた俺は、溜息混じりに声をあげた。

さん、俺も寝たいんですけど」
「…んむ?…いいよお」

いいよお、じゃなく。俺は二度目の溜息と同時にサイドボードに眼鏡を追いやると、有無を言わさずさんの身体を奥へ押し退ける。

「やだあ!こっちがいい!」
「じゃあ起きて下さい!跨ぎますよ!」
「うん」
「うん、じゃない、俺が嫌なんです」
「もう仕方がないきのこだなあ」
「おまえ…」

俺の怒りが伝わったわけではないと思うけれど、さんはしぶしぶ足を縮めて(けして起き上がらない!)迂回経路を作った。俺は失礼しますと不満気に漏らして、さんの足の方向からベッドの奥へと移動する。布団を被って、さんと対面すると、彼女はへへへとだらしなく笑った。

「かたくなですね?」
「だってひよ、右向いて寝る癖あるからさ」

逆向かれると寂しい、と続けて、さんは俺の首に絡みつく。ついでにふくらはぎを両足ではさむ。少し痛い。ずるいなあと心で唱えながら、俺は視界の端でちらつくナツメ球を指差した。

さん、電気」
「あ、そうか」

サイドボードに手を伸ばした彼女は、けだるそうに電気リモコンの消灯ボタンを押下した。暗闇が訪れた直後、がたりと言う音。多分、リモコンをボードに置き損じたんだろう。さんはそういうのに関心がないから、(忘れて蹴りかねない、それでも戻さない)多分戻すのは俺の役目だ。

「消して寝てればよかったのに」
「うん?」
「常夜灯じゃ疲れが取れないんじゃありませんでした?」

少し前、常夜灯で寝る派か暗闇で寝る派かのとりとめもない話をしたとき、常夜灯派だった俺に、完全に暗くないと一日の疲れが取れないって前にテレビでえらい先生が言っていたとふんぞり返って申し立てて来たのはこのひとである。まあ、眼が悪いから暗闇で目覚めると余計に眼が慣れないのが不自由かなと思っていただけで、取り立ててポリシーもなかったから同意してさんに合わせたのだけど、本人が常夜灯で寝ているのでは、説得力もへったくれもない。

「違うの」
「なにが?」
「ひよとベッドに入って一日が完結するから、わたしひとりのときはまだ夕方なの」
「…は?」
「まだ夜じゃないの、だからオレンジ色なの」

声が完全にまどろみを帯びているから、もしかしたらうわごとなんじゃないかと思った。寝言に返事しちゃいけないと言う話は誰から聞いたんだっけ。それも、この人だっただろうか。

「…俺が消さずに寝たらどうするんです」
「ふふ、手前に寝てたらどかしてくるから起きるでしょ」

ひよは人を跨いだりできないもんね?と付け加えてさんは悪戯に微笑む。(その顔は見えないけれど、きっとしてやったりというような表情が張り付いていると推測できる)

「食えないですね?」
「食わないよ?もう寝るの」

多分これは本当のうわごとだろう。これ以上はなしていたら差し支えるかもしれない、俺も彼女も、と思った俺は、最後の力でさんのくちびるを掠め取る。きゅう、と変な声で鳴いて、多分さんは夢の内側へ旅立った。

「おやすみ、さん」

ぬくもりに寄り添われて、俺は夜の闇の中からさんの後を追いかけた。



君がいて、夜になる

 


20130107君がいて、夜になる