少々渋めのブックカバーの内側に隠された秘密(だと本人はまったくぜんぜん思ってないけど)を勝手に覗き見たとき、宍戸は少し引いていた。私はなんておもしろいやつなんだ…、って思った。っていうか、宍戸のやつ何を期待してたんだろう。中学2年生の読む本の中身に、中学3年生が目を輝かせて期待するようなものは含まれていないと思いますよ。いい加減にして下さい。
パ
ラ
ダ
イ
ム
シ
フ
ト
「…何で居るんです」
「んー、いや、日吉が居なかったから、待ってた」
「俺だけじゃないでしょう、他の皆も居なかったでしょう、移動教室だったんですよ、ほら」
「あー、うん」
これを見ろ、と言わんばかりに習字道具をぐいぐいと押し付けられて、そのまま私は日吉の座席から押し退けられる格好になった。ひどいな、こいつ先輩のことなんだと思ってんだろ。
「…あーうんじゃありませんよ、先に戻ってきたやつら、怖がってましたよ」
「えっ、私そんなに怖い先輩じゃない自信だけはあるけど」
「後輩の机に先輩が座ってる事実だけで十分怖いんだよ!…ですよ!」
勢いで招いたタメ口を慌てて敬語に書きかえて、日吉は乱暴に習字道具を机へ置き遣った。硯壊れちゃうよ?とかわざとひそひそした声で言ってみたら、壊れたらあんたの習字道具を奪い取りますとか言いやがる。…その千枚通しより鋭い眼差し、怖いのは日吉くん、あなたのほうですよ?という台詞をギリギリで呑み込んだ私は、大人だ。不機嫌そうに着席した日吉の眉間が緩んだのを見計らって、私はさあさあと口を開く。
「怖いと言えばー、日吉戦慄迷宮行ったことある?」
「……今、この前父親が『次の信号右斜め後ろ方向です』とカーナビに指令されて憤慨していたのを思い出しました」
「いや、今それ全然関係ないよ?日吉ちゃんと聞いてる?」
「………」
勿論彼なりの遠回しな嫌味だと言うのを充分すぎるほど理解しながら、私はにっこりと首を傾げた。心の舌打ちがこれほど響いて来たこともないけれど、私だって用があってここに来たのだから、休み時間中にちゃんと責務を果たさないといけない。
「まさかいくら俗世間に疎いからって知らないってことないよね?あの」
「知ってます、荒廃した総合病院を舞台にしたお化け屋敷でしょう、行ったことはありませんが」
やるねー!と萩やんの真似をしながら鼻先に指を押し当てたら、本題!というたった4文字の主張をしながら払い除けられた。
「あのね、今度ねー富士急に行くんだ、でも私ジェットコースター駄目じゃん?」
「いや、知りません、知りませんけど良いことを聞きました」
「えっ?なんだろう?まあいいや、で、せめて戦慄迷宮は行っとこうかなと思ったのね、で、やっぱ怖いのかなって」
「…先輩、お化け屋敷とか好きなんですか?」
なんだか日吉が心なしか少し身を乗り出して来た、気がする。やっぱりこの手の話好きなんだな…、普段大人びて見せてるつもりだろうけど、やっぱこういうとこ凄く中学生しているな、と思って、私は愉快な気持ちになりながら回答する。
「いや?」
「…は?嫌いなんですか?」
「…天秤にかけたら僅かにお化け屋敷の方が軽いかなってくらいだけどでもまあ」
「それって…」
「いや、超怖がりだよ?でもまあ…フジヤマ乗るよりは」
回答を受けた日吉の様子が、なんだかおかしい。とても先輩を見るとは思えない憐れみを込めた瞳で見つめられている気がする。気のせい?いや、気のせいじゃないな、これは…。
「…戦慄迷宮って、日本一怖いお化け屋敷って呼ばれてるの、知ってます?」
「………う、噂には聞き及んでおりますが」
「それで行こう、入ろうと言う気持ちになれた先輩の精神状態を疑います」
さらに日吉はそんな恐ろしい病棟に足を踏み入れる前にちゃんとした病院受診したほうがいいんじゃないですか?と続けた…。上に若干嘲笑した。だ、誰が上手い事言えと、だよこんちくしょう、と私は思った。しかし、本当もうぐうの音も出ない。だってその通りですもの。怖い番組見たあと夜トイレ行けなくなって、朝まで尿意をやり過ごす、私、はそんな女なのだ。
「や、やっぱそんなに怖いのかー…」
「いや、俺も行ったことはないので実情は分かりませんけど…」
「…そうか、行ったことはないんだよね…日吉(ですら)もやっぱり怖い?怖くて怖くて行きたくないレベル?」
「…………興味はあります」
「それって…行ってみたいってこと?」
「…………まあ、そうですね」
机のフック部分に習字道具を引っかけながら、何食わぬ顔で日吉は答えた。判りにくいけど、あまり多くに興味を示さない日吉にとってみたら戦慄迷宮はスーパー興味があってハイパー行ってみたいと考えて過言ではないだろう、と、私は勝手に解釈した。
「そーかー、日吉がそこまで行きたいなら、まあ入ってやってもいいかな!戦慄迷宮!」
「…は?」
時計をちらりと垣間見ながら、ポケットに手を突っ込む。休み時間は残り3分。ギリギリセーフだな、と私はほくそ笑んだ。
ポケットから取り出した二つ折りの用紙をさもうやうやしげに伸ばして、相手に分かりやすいよう向きを整えてから、私は日吉の眼前に『そいつ』を差しだした。日吉は刹那目を見張ったのち、2、3回目をぱちくりさせた。多分、それから何か言うつもりだったんだろうけれど、それをあえて遮るように私は口を開く。
「来週日曜の部活はお休みです」
「………知ってます」
「何か予定があっても、空けておいて下さい」
「………横暴ですね」
「では、私は戻ります」
踵を返した私は、教室を出た途端小走りになった。時間はまだ残り1分あるし、日吉と私の教室はさほど離れてない。(廊下をつきあたって、階段を降りたらすぐの場所だ)しかし、なんだかふと走り出したい気分になってしまったのだから、しょうがないじゃないか。
次の時間は数学で、もともと得意じゃないから問題を解くふりをして上の空になっていた私は、決まって部室に一番早くやってくる日吉がさっき押し付けたものを無言で突き返してきたらどうしようと気を揉んでいた。せっかく渡した『富士急フリーパス』なのに。せっかく親が福引で当ててきたのに。せっかく戦慄迷宮に日吉を連れてってやろうと思っていたのに。
そうして部活までの時間は日吉がチケットを突き返してきたときの対処を悶々と考えていたけれど、それは杞憂に終わり、放課後部室にやって来た日吉はいつも通り挨拶して何事もなかったかのように控室に入って行った。何事もなかったかのようって言うのもどうなのよ、と思っていたけれど、ロッカールームから出てきた日吉は靴紐を結び直しながら、ぽつり、と
「…あそこの螺旋階段には、どうやら本物が出るらしいですよ?」
とかなんとかほざいてきたので、なんだか込み上げてくるものをぐっと押えながら、
「やめろ、このオカルトオタク」
と美しいまでに応戦したら、翌日から戦慄迷宮豆知識を数々ぶち込まれたので、やめておけばよかったとひとしきり後悔したのだった。
「…っていうか、なんでわざわざあんな遠回しなこと言って来たんですか」
「だって、だって怖いと思ってる人と行ったら余計怖くなっちゃうじゃん」
だから、カマを…、とかなんとか言いながら、当日戦慄迷宮入場前ですでに涙目の私を見下ろす日吉はやけに嬉しそうだった。
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