ブン太って刹那的快楽主義者だよね?と別れ際にせせら笑われた。自らのありのままをありていに言葉にされたところで別段不快になったりするような性質じゃないけれど、いつかそういう自由奔放さが好きって言ってのけたのと同様の口から紡がれた事実がひどく腹立たしい。知ってたろ?と、今出来うる限りの笑みを作って踵を返した。未練があるとしたら多分こいつのほうだと言うのは判っていたから、名残惜しくはない。背中に一度だけ名前がぶつかったけれど、放っておいた。泣いているかもしれない、と心がかすかに痛んだけれど、それより面倒くさいという気持ちが先行してしまった俺は、きっともう彼女に溺れていなかった。


死 の 舞 踏


「またぁ?今回も早かったね…」
「うん?最短記録更新かも?」

屋上の欄干に手をかけながら、コーヒー牛乳のストローを咥えて、は笑った。一方パンを齧りながら欄干に背中を預けている俺は、ひらひら揺れるのスカートの中身が目に留まる丁度いい位置に居て、ジャムの味を噛み締めながらあーもう少しなのにな、とか不埒なことを考えている。
クラスメイトのは小5の夏に親の転勤に伴って我が家の三軒隣の一軒家に引っ越して来た。同じクラスになったよしみで仲良くなったは、時折弟たちの面倒も見てくれる良い友人で、多分幼少時から5年のつきあいともなれば、すでに幼馴染と呼べる間柄なのだろうと思う。意外にも、気のおけない女友達の少ない俺にとって、は希少な親友と呼べるに違いない。しかしまあ、第二次性徴期を経た女子と言うのはかくも変貌を遂げるものかと言わんばかりで、昔は好き放題戯れていたのが嘘みたいに、いつからか一定の距離を取らざるを得なくなった。いつからか、と言えば、多分それは俺に初めての彼女が出来たその瞬間からであったことは明白だけれども。

「つーか、そろそろ行かなきゃ精市くんに怒られない?」
「そうは思うけどよ、チョコチップメロンパンとシュークリームとプリンが」
「…そんなに食ったあと部活して、横っ腹痛くなんないのが奇跡だわ」
「今更だろぃ?つーか、俺もう引退してるし」
「そうやって怠慢してると、本当にブタになるよ?」
「本当にって何だよ」

そのまんまの意味、とさらに笑いながら、終わりかけのストロー音をわざとけたたましく響かせたは、身を翻して、俺の隣に蹲った。

「あ」
「ん?どしたの」
「いや、何でもない」

一瞬レモンイエローの布地が覗いた気がして、思わず声をあげた俺は、しまったと思いながら、誤魔化すようにチョコチップメロンパンをかじる。眉を顰めつつ、気付いてない様子のは、わけわかんない、と呟いて、風に靡いた髪を耳の後ろにひっかけた。

「…ねー、一口頂戴」
「…やると思う?」
「思わない、言ってみただけ」
「食いたいなら購買行けよ?」
「そこまでじゃない、一口欲しいだけってとき、あるじゃん」
「わかんね、俺は欲しくなったら全部欲しいしよ」
「…それ、食べ物に対してじゃなかったら倒錯的な台詞なのになぁ」

惜っしいわ、ブン太、と息を吐いたに、別段食べ物だけのことを言ってるわけじゃないと反論しようとしたけれども、なんだか馬鹿馬鹿しくなったからやめておいた。

「で、何て言ってフられたの?」
「…臆面もなくんなこと聞くのお前くらいだぜ?」
「だって、今日やけ食いってレベルでもなさそうだし、いいかなって」
「まーいいけどよ…」

俺のやけ食いレベルをどの程度だと思っているのは知らないけれど、まあ確かに、関東大会の後はこの5倍くらいは食べたかもしれないので、の予測もあながち間違ってはいない。傷心もさしたることがないと言うことまで含めて。

「ブン太って刹那的快楽主義者だよね、そういうとこついてけない、だと」
「はぁ?あっはっははははは!」
「おい、笑いすぎだろぃ?」
「だ、だって、そんな、ブン太の一切合切全否定じゃん、それ」
「…俺もそう思ったけどよ」
「まー、ブン太イケメンだから、顔だけで告ってくる輩がいてもしょうがないよね」

ちんちくりんだけど!と余計な一語を言ってのけて、は俺の頭を犬かのように撫でまわした。

「うるせえな、これから延びんだよ!」
「そうね、栄養は十二分に足りてるはずだし?」
「うっせぇ」

柔らかなてのひらを払いのけて、再びメロンパンにかじりついた俺を、未だにたにたと笑う瞳が見つめている。不快とまでは行かないけれど、なかなかにして鬱陶しい。さらりとイケメンだなんて口にしやがって、自分だって2年にあがったあたりからそこそこ男に告られてるくせに、ちっとも靡かないことを、俺は良く知っている。いつだかそれについて追及したら、今私がやりたいのは男といちゃいちゃすることじゃないの、とかのたまった、こいつだって大概刹那的快楽主義者だ。

「明日死ぬかもわかんねーんだから、好きなことしたもん勝ちだって」
「ねえ、シュークリームでもいいから一口くんない?」
「人の話聞いてんのか??あと、やんねーから」
「聞いてるよー…あー」

が手を伸ばしかけていたシュークリームの包みを慌てて掴み取った俺は、メロンパンを咀嚼しながら梱包の切り込みに力を加える。

「その気持ちは判るよ、私だって好きなことしたいからほぼ3年間帰宅部なわけだしさー」
「走るのは好きじゃなかったのか?」
「だって短距離から無理矢理長距離移動だよ?やってられるかってーの…、私はハードルがしたかったのにさー」
「ふうん?」
「だからブン太にとってテニスって偉大だよね?あんだけしごかれてもまだやりたいって思えるんだから」

まともなことを言っている、ように思えて、目線はずっとシュークリームを追っているから多分片手間の言葉なのだと思う。睫毛が存外長いな、と思いながら、俺はシュークリームを頬張る。バニラビーンズのたっぷり含まれたカスタードクリームの香りが口いっぱいに広がっていくのを感じながら、俺はがゆっくりしばたたくのを見詰めていた。俺のプライベートスペースを侵すことを恐れないは、ほど近い場所に控えている。風下。ふと女子特有の香りが鼻腔を掠めて、胸の奥に違和感を覚えた。そのとき、自分の内側に居たの姿は、いとけない面立ちからさほど更新されていなかったことに気付いて目を見張る。

「どしたの?ブン太?」

頭では判っていたけれど、飲み下してはいなかったのだ、自分が恋人にかまけて離れている最中、もちゃんと自分と同じだけ階段を昇っていたことに。

「食べないならちょうだ…」

たわむれに

また顔をこちらに寄せたは実に間が悪かったと思う。シュークリームに伸ばされた手を取った折、は微笑っていた。お決まりのパターンでたしなめられるのを期待していたのだろう。けれど俺の目論見はそんな生ぬるいコミュニュケーションなんかではなかったから性質が悪い。だって仕方がないじゃないか、明日世界が終わったら、こうしなかったことを後悔するかもしれないだろう?

「ブン、太っ…?」

体制を崩したまま引き寄せられたの唇を自分の唇で塞いだ俺は、引き剥がされないのをいいことに、暫くじっとそうして、まあるく見開かれたの瞳に自分の瞳を宛がっていた。暫く経過して、ゆるゆる、と静かに唇を離したのは俺のほうだった。柔らかな感触だけが取り残されて、ひどく心もとない。眼前、ぽかん、と気の抜けた様子のに、何て言葉をかけていいか迷ったけれど、あぐねている最中、先に沈黙を切り開いたのはの声だった。

「カスタードの味がした…」
「……おま…、他に言うことねえのかよ?」
「ねね、もっかいしてもいい?」

乗り出されて、今度面食らったのは俺のほうである。否、こいつは初めから面食らってなんていないのかもしれない。まあいいか、と俺は思って、面倒臭い口約束は後回しにしようと、の肩に左手を廻す。

食べかけのシュークリームも、プリンも、うちの部長も、副部長も、勿論俺も、だって、世界が爆発すれば、みんな等しく死んじまうんだから、今はこれで、このままでいい。



20130225 死の舞踏