今日も今日とて彼は性懲りもなくぺたぺたと後をつけてくる。行動こそ子ガモめいているのに、いやに必死だ。何故ここまで必死になれるのかわからない。こんなつまらない女に、と自分のことながら、自分のことだからこそは強く思うのだけれども、いつかそんな類のことをついぽろりと零したら、ぽかんとしか形容出来ない顔をされた。今度は鳩だな、とは思う。鳩が豆鉄砲を云々とやらである。込み上げてくる笑いの衝動にいとおしさが孕んでいたのは、誰にも内緒だ。

「何言ってんスか?好きに理由なんてないっしょ!」

清々しく申し立てながら、どさくさ紛れに抱き付いてこようとする常套的な手段を跳ねのけるのも、もしかしたらもう潮時なのかもしれない。さんざめく心が多分そろそろ限界を告げている、気がするから。
 


ガムシャラバタフライ
-K氏の場合-

 


「ねえ、

中休み、ざわめきの中で自分を呼ぶ声を拾ったが顔をあげると、そこにはクラスメイトの幸村精市が佇んでいる。浮かべるは薄く柔らかないつもの笑みだ。その笑みは別段そのようなきらいはないのかもしれないけれど、何かしらの打算を内包していそうで、なんだか苦手だ、とはありていに失礼な内心のまま、わざとらしく小首を傾げる。

「どうしたの?昨日の部会で何かあった?」
「いや、滞りなく終わったよ、ちょっと赤也がうるさかったくらいで」
「そうなんだ?」

マネージャーと言うべきか、そこまで大それたことはしていないけれど、テニス部の補佐的業務を任されているは、参加出来なかった昨日の部会の話でも持ち出されるのだろうと踏んで先廻りしたのだが、どうやら違ったらしい。ひとまず赤也がぴーちくぱーちくしているのは今に始まったことじゃないので置いておくとして、滞りなかったのなら、目前の人は何を言おうとしているのだろう。もともと、そこまで自分に雑談めいた話を持ちかけてくるほうではないから、そうでなければ何なのだろうと少し怖くなった。じゃあ何、と持ちかけるべきなのだろうけれど、なんとなく気が進まない。しかし、言わなければ先に進まないから、言わざるを得ない。

「じゃあ、なあに」
さ」
「うん?」
「俺のこと好きなんだって?」
「ぶっ!」

ことさらに目元を緩めた幸村は、知らなかったよ、と水の流るるごとくさらりと続けた。刹那反転した思考を無理くり戻したは、事実無根(割と屈辱)の恋心がなにゆえ、こともあろうに幸村本人から齎される結果になったのだろうかと思い巡らした。そして結論は数秒で導かれて胸の内側にすとんと落ちてくる。赤也だ。赤也に違いない。



いつかの休み時間図書館に向かおうとした自分の後をもの通りちょこまかとつきまとわれながら、いつ俺に靡いてくれるんすかとか、本当もう超好きっすとか、あ、もしかしてシャンプー変えました?とかのべつまくなしに喋りかけてくるのに対して、あーはいはいわかりませーん、とか、ありがとありがと、とか、変えたかもねー、とか無慈悲に対応していた折のこと、急に立ち止まってついてこなくなったから不覚にも少し驚いて振り返ったら、いやに神妙な顔をしたからこれまた不覚にも歩み寄り、さらにどうしたの、と声をかけたのは矢張り最大の不覚なのだけれど。

「もしかして、好きなヤツいるんすか?」

履き捨てるように言った赤也に対し、適当なことを述べてしまった自分はあのとき少しどうかしていた。飽きもせず毎日自分にくっついてくる赤也をやや若干いやかなり鬱陶しいと思いこそすれ、あんな嘘を吐くべきではなかった。

「…精市」
「はっ!?」
「ウチの部長、幸村精市」

何故幸村の名前を出したか、それはただ自分の生きる範囲内でひどくありふれた選定であったというただそれだけで、きゃあきゃあ言われる人気の男子群だったら別にブン太であろうが仁王であろうが構わなかった。幸村はにとって『それらしい理由』でしかなかったのだから。

「…ぶちょう…」

ぽつりと、悲しげに零した赤也に気が咎めたのは言うまでもないが、これで赤也の威勢が治まってくれれば何よりだ、と思っていたのだけれど。

「いや、いやいや」
「………ん!?」
「絶対に俺らのほうがお似合いっしょ!?」

つーか、負けねーし、と継いだ赤也の瞳には、何だか闘志のようなものが漲っていて暑苦しい。鎮火のつもりでかけた水が油だったことに気付いた頃には、後の祭だった。負けるも何も、争ってねーし、言ってしまえばあんな薄気味悪いやつ好きでもねーし、と内心で叫びながら、眉を潜めたは踵を返す。



しかし、と幸村がいい仲になってしまう可能性が0.001パーセントでも見込まれる限り、赤也が自分から幸村本人にの好意を伝えるべくもないから、(出来ればそこまでおバカじゃないと信じたい)件のことは立海テニスレギュラーを一連経由して仁王あたりから伝わったんじゃないか、と推察出来た。なおのこと消え去りたい。挙句、知ったところでわざわざ伝えてくるデリカシーのなさを、よもや幸村が持ち合わせているなんて知らなかったから泡を食った。何故この人は平生ににこにこと佇んでいられるんだ、とは強く唇を噛んだ。

「驚いたよ?むしろ嫌われてると思ってたからね?」
「……当らずとも遠からずだわ…」
「ん?何か言った?」
「なんでもないです」

嘘だから忘れてくれ一刻も早く死にたくなるから、と早めに伝えておきたいところなのだが、幸村の放つ特有の空気がなかなかそれを許してくれない。この特有の空気が苦手だと思ってしまう以上、自分がこの人と恋仲になるなんてことは天と地がひっくり返ってもありえないだろうな、とは考える。加えて、どういうわけが引く手あまたの幸村だ。自分を選ぶなんて狂気の沙汰としか思えない。

「…で?」
「…で?はこっちの台詞、なんだけど…」
「いや、ここで俺も同じ気持ちだから付き合ってくれないかって言ったらはどうするのかな、と思って」
「それはないっしょ?」

肩を竦めたに、幸村は眉尻をほんの一瞬ぴくりと動かして、へえ、と短く述べた。いつもすぐに終わってしまう中休みが、水中を這うように重いのは幸村の魔法だろうか。


「……はい」
「利用したね?」

口調はまるで先刻から変わっていなかったのに、何故だか鳥肌を立てたは、強張ったように笑みを浮かべ続ける幸村の双眸から目が逸らせなくなった。えと、その、とくぐもった声を口の中で遊ばせてる最中も、幸村はじっとの瞳を見つめている。

(これはもう)
(駄目だ)
(殺られる)
(眼力で…!)

脂汗を滲ませたは、図星をさされ声の通りが悪くなった咽喉に無理を利かせて、どうにか言葉を送りこんだ。

「………ご、め、ん、な、さ、い…」
「俺が許しても噂は一人歩きするんだけど?」
「………そ、そうですね…仰る通りです…」
「俺達一緒に居ることも多いんだし、尾ひれがついて既に付き合ってるなんてことになったら…、流石に困る、っていうか…」

机に右手をついた幸村は、そのままの半身に向かって身を乗り出す。椅子にしっかりと腰掛けているは、突然のことに身を逸らせず、え、と小さく鳴いた。いつのまに頬と頬が近づく距離へ面立ちを寄せていた幸村は、唇をこれ以上ないほどの耳たぶへ近付けると、決して誰にも聞こえない低い声で、ぽつりと呟いた。

「なんつーか…不名誉?」
「っあああああああああああああああああー!!!!!」

幸村が無茶苦茶辛辣で程度の悪い言葉を吐き出したのと、教室の入口で誰かが絶叫したのは、ほとんど同時の出来事だった。矢継ぎ早の出来事にいささか混乱めいた頭のまま、鼓膜に張り付いた恐ろしい声に震えながら教室の入口を見遣る、と、そこには見るからに怒気を孕んだ顔の赤也が佇んでいる。口をぱくぱくさせながら堂 々と教室に入ってきた赤也の姿に、教室内は騒然となる。

「ちょ、何してんすか、部長!」
「やあ赤也、昨日はお疲れ様」
「あ、お疲れ様っす…じゃなくて、今!俺のさんに!何してたんすか!」

いや、私は私だけのものであって赤也のものでは決してない、とは強く思ったけれど、ここでしゃしゃり出ても無意味なことはわかっていたからあえて口を噤む。幸村は赤也を見止めるや否や清々しいまでに先輩面を始めて、先程の動向が嘘のようだから余計に怖い。

「うん?何かしてたっけな?」
「とぼけないでくださいよ!超接近してたの、俺しっかり見ましたから!」
「昨日の部会の報告をしてただけだよ」
「部会の話で何であんなに近………まさか」

いやな予感がした。しかし、ここで自分が口を挟んでも状況は多分何も変わらないだろう。ひとまず逃げたいと思いながら、はちらりと時計を見遣る。授業開始まであと2分。次の授業は…現代文だ。出席日数は十分足りている。小テストは先週行われたから多分抜き打ちもありえないだろう。目前で行われているやりとりに下手な水を差さないように、はそろりと自身の椅子を引いた。抜き足、差し足、忍び足…。

「部長もさん狙ってるんすか…!?」

クラス中に響き渡る大声を受けて、ぴちり、と氷に亀裂が入るような音がどこかで響いた気がした。先程、自分の鼓膜に張り付いた辛辣な言葉が今まさに幸村の心に圧し掛かっているに違いない。それはもう、冷酷無残ではあるにせよ、幸村と自分の立場を考えたら百歩譲って致し方のないことだ、と、平和を愛するは思いこむことにした。

「………赤也」
「い、いくら部長でもさんはあげませんよ!絶対負」
「赤也」
「………はい」

威勢めいていた赤也だったが、迫力と言うものに完全に気圧されてたじろいだ。幸村は良い先輩じみて微笑んでいたが、なにしろ酷くおぞましい空気を纏っている。

「…もう七面倒臭いから、さっさとくっついてくんないかな?」
「…………は?」
「押して駄目なら…、押し捲れだよ…得意だろ?」

突然の方向転換にわけもわからずきょとん、としてみせる赤也を見て、幸村が鳩みたいだと思ったか否かは知れないが、とりあえず顎で教室の後ろを指したその人は、完膚なきまでに、かたきし赤也の味方であった。促された方向には、いつのまに机から忽然といなくなっていたの佇む姿、こちらに気付くやいなや、しまったと言うあからさまな表情を張り付かせ、スカートを揺らめかせながら廊下の先へと消える。

「あーっ、さん!逃げるとか、ズルいっす!」

机と生徒たちを掻き分けながらの後に続いた赤也の背中を見届けながら、幸村は大きく、それはもう大きく嘆息した。

ひとまずサボタージュのメッカ屋上に、と早足を決め込んだであったが、後ろから自分を呼ぶ、聞き覚えのありすぎる声が響いたから泡を食った。しかも足音は駆け足の類である。これではすぐに追いつかれてしまう。そんなことを考えながら、すでに諦めの心が浮かんでいる自分は、いよいよ赤也の思う通りになろうとしているのではないかと言う気になって首を振った。それからほどなく、痛いほどのチャイムが身体を打って、折れた廊下の奥にある屋上に続く階段に差しかかった頃、は気紛れに失速した。チャイムが終わりに差しかかる頃、折れた廊下の奥にを見つけた赤也は、さも嬉しそうに、その名を舌に乗せる。悟られないように後ろをちらりと確認したは息を落としながら、微かに確かに、笑みを零していた。

さんっ!」

尻尾があったらちぎれんばかりに振っているであろう可愛い年下の後輩は、今度は大型犬のように、両手を広げて飛びかかって来る。予想の範囲内であったものの唐突なことに身をかわすことも敵わなかったから、そのまま赤也にぎゅうと抱きつかれる顛末になる。逃げの手を緩めた自分のてぬかりだからどうしようもないけれど、かつてない状況に少しだけ顔が熱くなる。

「き、きりはら、やめなさい!」
「嫌っす!今日こそは付き合ってくれるって言うまで離さないっすよ!」
「馬鹿言わないでよちょっともう!」

胸板を押し返そうとするけれど、運動部エースの力は並大抵ではなく、人並み程度の力しか持ち合わせていないではとても敵わない。屋上の扉から差し込める光のふもとで取っ組み合いのようなものをしている2人は見るからに滑稽だけど、それぞれがそれぞれに必死だった。

「切原あ、いい加減にしないと横腹殴るわよ!」
「…さん相変わらずいい匂いっすね?」
「殴るわよ?」
「…殴れば?」

そう言って殴んねーの、知ってるし、と不敵な笑みを浮かべる赤也は腹立たしくて堪らない。その上、緩まれた子悪魔的な瞳に少しだけ心臓が上擦ったから余計に腹が立って仕様がなかった。

「…切原」
「はい!」
「…やめないと、嫌いになるよ?」
「!!!!」

ほとんど反射で遠のいた赤也の反応は、実にの思惑通りである。やや窒息まがいの胸を抑えて、したり顔のまま赤也の面立ちを覗いたは、しゅうんと耳を垂らした犬のしょんぼりした形相に少しだけ申し訳ない気分になったけれど、こんなやり方はフェアじゃない、と思う。だったらいつもみたく正攻法で向かってきてくれたほうがずっと良い。

「…や、やだ…!」

ぽつり、と呟いて、赤也はかすかに俯いた。かわいいな、とは思って、赤也の纏まりのない黒い御髪にくしゃりと触れた。この覚束ないあたたかな気持ちが恋慕なのか、まだ自分には判らないけれど。

「…付き合ってもいいよ?」
「え、マジ…」
「サボり、1時間だけなら」
「なーんだ、そういうことっすか…」

ぬか喜びにこうべをあげた赤也は、すぐにまた肩を落とす。赤也が一喜一憂するのは自分の言葉ひとつなのだと思うと、満ち足りるのを否めないは、付き合ってもいないのにすでに赤也を掌で転がしていると言えた。

「何よ、不服なの?」
「いや!不服なわけないっしょ!」

階段を昇りながら、屋上へ続く扉から差し込める光に顔を顰ながら、それでもの口元は微笑んでいて、駆け足で自分に並ぶ聞きなれた足音の主が、常套句をまた口に乗せる。

さん、ちょー好きっす!」



 


20130525 ガムシャラバタフライ-K氏の場合