さして慌ただしくもないこの折にわざわざ呼び付けられたということは、だ、自分の行いに不備があったと考えるのが言うまでもなく妥当であろう、とは小走りのまま頷いた。書類における誤字脱字はもとより、議事録の記入漏れ、予算台帳の計算ミス、などなど、思い当たる節ならば指がいくらあっても足りないほどだ。

『本っ当にオメェは使えねぇな!?』
『何度言ったら判るんだ、このタコ!』
『……おい、テメェ、本当に反省してるんだろうな?』

雷鳴のように頭ごなしに怒る跡部と、地響きのように低い声で憤る跡部の姿が交互に浮かんでは消えてゆく。今日はどのような戦法で攻めたてられるのだろう、そしていつ帰して貰えるのか…、と憂鬱な溜息が止まらない半面、先日遅くなった折には跡部が車で送ってくれてそりゃもうラッキーだったことを思い出し、どうせ遅くなるならその流れでどうかお願いします!とか、ふとどきなことを考えるは、神経が細いのか太いのか判らない。生徒会室、息を切らせたは、慣れた手つきで3回扉を叩いて、そのままドアノブを握りしめた。

「失礼します……」
「ああ、入れ」

そろり、と生徒会室の扉から中を覗くと、その奥には、いつも通りふんぞり返って椅子に座っている跡部の後ろ姿が見えた。うわあ怖い、と心で呟いて固唾を飲んだは、ほとんど足音も立てずにそろそろと会長机の傍へ歩み寄る。会長職を形式上は退いた跡部であったが、跡部の貫禄と威厳とカリスマ性に新会長が到底及べる道理もなく、今だほとんど実権を握る跡部は、恐らく卒業間際まで変わらず居座り続けるのだろう。座ったまま、こちらを見返った跡部には一度びくりと怯えて見せたけれど、そのかんばせは意外に涼しげだったから泡を食った。

「わざわざ呼びつけて悪かったな」
「…い、いえ…あの、私、今度は、何を…」
「あん?」

跡部は眉を顰めて、眼光をへ送る。はその勢いに退いたけれど、お咎めがない様子なのを漠然と悟って、途端へらりと笑みを口元に貼り付けた。そしてまた、跡部もその心の動きをありていに悟っては溜息を吐く。

「お前、怒られ慣れすぎなんだよ」
「そんな!慣れてませんよ!今でもちゃんと怖いです、安心して下さい!」
「おー、そりゃ安心だな!」
「ふふ!」
「………と、俺が言うと思うか?」
「……す、すみません」

凄まれて、今度こそ萎縮したは、見るからに小さくなって、俯いた。まあいい、と跡部は2度目の溜息を漏らして、脇に控える作業机を指差す。は上目にその様子を見て、ぱちくりと瞬いたのち、ゆっくり指の先へ振り返る。

「…なんですか?これ」

作業机は定席こそ決められていないが、がいつも決まって着席する愛用の場所があった。見れば、丁度その場所に何かが積み上げられているではないか。は首を傾げながら、作業机に歩み寄る。積み上げられているのは、リボンをまとったどこかシックな色合いの小箱たちである。文字の表記が見受けられたが、筆記体なので少々読むのに梃子摺ったは、とりあえず捉えた英字を声に出してみる。

「れ、お、にだ、す…、こっちは、でるれい?」
「アーン、わっかんねーのかよ?」
「わ、わかりませんよ、こんな小難しいの!ブランド名ですか!」

三番目の箱には「ヴィタメール」、四番目の箱には「ノイハウス」と書かれてあったようだが、綴りが特殊でには解読不可能だった。跡部は痺れを切らせて、五番目の箱を掴むと、の眼前1センチメートルのところにつきつける。

「これならザ・庶民のお前でも判るだろうが!」
「…ち、近いです、会長、見えない…」

2、3歩後ろ歩きしたは、やっと視界に全て納まった箱の綴りをしげしげと見つめる。そこには「ゴディバ」と書かれている。おおお、と何だかくぐもった声を出して、跡部は箱の脇から、満足気な瞳を送りだした。だが、そののちのの反応こそ、跡部の求めていたものではなかった。

「駄目ですよ?会長」
「…あん?」
「貰ったものは、やっぱりちゃんと全部自分で食べないと」
「っち、違ぇえええ!!!!」

大層なゴディバの箱は、直後の頭に打ちつけられて、パコン、といやに小気味良い音を作り出した。その衝撃で、なのか、ほんのかすかに先日の出来事が脳裏を掠めた。頭を抱え、涙目になりながらは、何故だかぜえぜえ息をする跡部を見つめている。

アフター・ザ・フェスティバル

それは、つい5日ほど前に遡る。乙女の祭典・バレンタインデーは跡部にとってほとんど生死を分けるサバイバルデーと言って過言ではなく、今日を機会にぶつけてやろうと用意された本命チョコレートは常に弾丸のように彼の命を狙っていた。当日彼が今も頻繁に出入りするテニス部室・コート界隈は勿論、生徒会室も包囲の対象になる。投げ込まれるやら執行役員伝いに持ち込まれるチョコレートで、生徒会室は噎せるようなカカオの匂いに包まれていた。包囲網に誤った情報が投げ込まれたおかげで、生徒会室で難を逃れていた跡部は、チョコレートが山積みになった机の向こう側で、心なしかぐったりと安楽椅子に体重を預けている。チョコレートをかき分けながら、いつも通り紅茶を用意したは、机にほんのわずかの隙間を見付けてソーサーを捻じ込むと、無理矢理紅茶を差しいれる。

「…毎年毎年凄いですね?」
「まぁ、仕方ねえよな、これは俺様が俺様として生まれてしまったがゆえの宿命みてぇなもんだからよ?」

ふわさ、と前髪とかきあげて、わざとらしく露骨な憂いを見せつけてくる跡部に、は意図せず口元を歪めて、そのまま右手のトレイを振り上げる。

「いやはや、仰る通りですね」
「お、おい、何だその右手」
「はっ!ああ、すみません、非モテ男子の生霊が乗り移ってたみたいです」
「テメェ、ふざけんなよ」

チョコレートの壁の向こう側で、執行部のメンバーは笑いを堪えているだろうこと請け合いだ、と思いながら、はソーサーを持ち上げる跡部の挙動を見つめている。

「それにしても」
「ん?」
「こんなにチョコレート貰っても食べきれませんよね?」
「あん?当たり前だろ?」

多分ゆうに一年間の一般男子総摂取カロリーを超えているであろうチョコレートを、跡部が一体全体どう消化しているのか、は甚だ疑問だった。誰かに与えるにしても、食べるにしても、限度を超えたこの量のチョコレートを、持ち帰ったところで跡部はどう消費していると言うのだろう。

「あ、わかった!」
「お前は相変わらず脈絡がねーな…、で、何が判ったんだ?」
「ありったけ溶かして、浸かるんですね?」
「…とりあえず、の思考回路が手遅れなことは俺も充分判った」
「ちぇー、違うのか」

違うに決まってんだろ、と言う言葉を飲み込んで、手近なチョコレートを手にとった跡部は、今度こそ本当に少しだけ、物憂げな色を瞳に滲ませる。

「…とりあえず、まあ、出所の判らねぇもんは纏めて焼却炉行きだな?」
「えっ、ええ、えええええー????」
「んだよ、うるせえな」
「だ、ちょ、信じられないです、乙女たちの勇気や努力を!よもや灰に…ええええー!勿体ない!」
「仕方ねえだろ!毒でも混入されてたらどうすんだ!」
「………あー、そっか、会長、恨まれてそうですもんね?」

あまりにもあっさりと回答を飲み下したに業の煮える思いを湛えつつ、そういうことだ、と跡部はやけくそに強い口調で返した。それからほどなく、事実以前毒が混入されていて騒ぎになったことがある、ということを、跡部の忠実な僕、樺地から聞かせて貰ったのだが、そんなこと露も知らないこの折のは、それでもただただ勿体ないと零し続ける。

「きっと毒が入ってるのなんてこの中の20個に1個くらいですよ?」
「…おい、てめぇ、叩かれたいのか?」
「じょ、冗談ですって…でも死刑執行されるチョコレートのうちほとんどが冤罪かと思うと、泣けます…」
「何だその胸クソ悪い比喩は!」
「だって私の食べたことのないようなお高そうなチョコレートもたくさんあるじゃないですか!?私このチョコレートを食べて死ねるなら、幸せですよ」
「おめでてえな、お前は本当」

跡部は嘲笑し、カップに口をつけて、小さく咽喉を鳴らす。ああ、多分その紅茶も、このチョコレートと一緒にたしなんだらもっと美味しいはずなのにな、とは考えていた。

「ねー会長、ひとつくらい貰っちゃ駄目ですか?」
「駄目だ!」



はてっきり、やっぱり廃棄してなかったチョコレートを残飯処理係の如く押し付けられるのかと思ったのだが(無論、これは跡部にとっての残飯であり、にとっては御馳走に他ならない)脳天に与えられた痛みを考えると、どうやらそうではないらしい。

「相変わらず乱暴ですね?」
「テメェがそうさせるんだろうが!」
「っていうか、この前のじゃなかったら、これ何なんですか?」
「っはぁ?お前が高級チョコ食ったことねーってって言ってたから、この俺様が!わざわざ!調達してきてやったんだろうが!」

わかんねーのか、と付け足して、跡部は再び軽くの頭を小突く。無論、ゴディバで。わかるわけなかろう、とは強く、それはもう強く思ったが、この状況は悟れなかった自分に非があると自己暗示をかけなくてはならないパターンなので、ああ、私としたことが、と心にもないことを零したら、余りの棒読み加減に3回目のゴディバを食らう羽目になった。ゴディバに謝れ、そしてゴディバに呪われろ、とやや物騒な心で跡部に若干恨みがましい目線を送る。しかし、いつも通り跡部はそんなもの取るに足らない様子である。

「え、っと…、わざわざすみません…ありがとうございます?」
「フン、ホワイトデー用で多方面に発注があったからな、そのついでだ」
「なんだ、だったらそのときでも良かったのに〜」
「…お前……」
「はい?」
「…なんでもねぇ」

微妙に空気を濁らせて、跡部はゴディバの箱をの胸元に押し付けた。しっかりした茶色い箱に、金の印字、サテンのリボン。誰が初めて、このような箱にチョコレートを詰めようと思ったのだろう、と考えながらはそれを受け取ると、手触りの良いリボン生地に指先を寄せる。

「会長」
「あん?」
「今むっちゃお腹すいてるんですけど」

箱の蓋を開く寸前で、首を傾けたは、儀礼的としか思えない許可の声をあげる。跡部は顰めっぱなしの眉の皺をさらに濃くしながら、腕を組んだ。

「…すでに食う気まんまんだろうが、止めたら止めんのか?」
「いや、ちょっと無理ですね?」
「じゃあつべこべ言わず食っとけ」
「わーい!じゃあ紅茶いれてきます」
「…アールグレイだ」
「ふわい!」

そう言えば、前にどこからかの引菓子でチョコレートケーキを頂いたとき、チョコレートにはアールグレイが合うとウンチクを述べていたことを思い出しながら、給湯室の電気スイッチを押下したは、フォートナムアンドメイソンの紅茶缶に手を伸ばす。

紅茶を蒸らして戻ってきたは、跡部が自分のお気に入りの席にどっかりと腰を下ろし、挙句すでに箱を開けてぱくぱくとチョコレートを食べているから驚いた。驚いて、一瞬トレイを落としそうになった。宝石のように綺麗に並んだチョコレートとまみえるのを楽しみにしていたは、ささやかな夢を打ち砕かれた気がして茫然と立ち尽くす。

「会長――――――――――っ!それは、あんまりです!」
「あん?もともとは俺のだろうが」
「そうですけどー…ああ、もう半分しかない」
「まだヴィタメールもレオニダスもまるまる残ってるだろうがよ」
「…ゴディバしか知らない私は、ゴディバの価値しか判りません!」
「威張ることじゃねえ!ったく…」

口内に纏わりついた上質なプラリネクリームを洗い流すべく、目前に現れたトレイからカップを持ち上げた跡部は、ひとくち、ふたくち、アールグレイを煽って深々と息を吐いた。その優雅な最中も、はずっとこちらを睨んでいたようで、斜め下からは纏わりつくような瞳が、少し長くなった髪の隙間から覗いている。なんとなく言葉を失った跡部だったが、自分が圧倒されなければならない理由などなかったことにほどなく気付いてほんの僅かに腹が煮えたけれど、普段から見せるの食に対する並々ならぬ執着を考えれば致し方ないかもしれない、とどうにか思い直すに至った。だからこそこの待遇を持って遣わしてやったと言っても過言ではないことにも。
落胆しながらトレイを置いたは、それでもソーサーを跡部の目前に、それはもう丁寧に設置してしまう自分は極めて職業病だな、と心で呟いた。跡部は待っていたとばかりにカップを置き遣ると、さらにひとつ、箱の中からマッチ箱サイズの板チョコを取り出す。

「…いらねえなら全部持って帰るぞ、
「そ、それだけはご勘弁を!会長!」
「それでいいんだよ、ホラ」
「むっ!?」

素早く包みを取り払った跡部は、垂れていたこうべをあげたの口に無理矢理板チョコを押し込んだ。口の中に放り込まれた固い塊に丸くなったの瞳が目視したのは跡部の何やらご機嫌なかんばせである。唇の内側で広がるカカオの香りをかみ締めながら、は、何故こんなにも跡部が愉快な顔をしているのか、とぼんやり思案する。そして、その答えをは、身を持ってゆるゆると実感して行った。

「う…」
「……っく…く」

みるみる眉間に皺を寄せると、口元に指先を寄せて、笑いを堪える跡部。そんな跡部のたなごころで潰された、ブラウンの包み紙には、「85」と表記されている。

「にっが!苦い!苦い!なんですか、これ!?」
「あん?高級な味だろうがよ?カカオ含有量85%のチョコレートは」
「ど、毒じゃないんですか!?」
「…てんめぇ、ブリュッセル行って店の前で土下座してこい!」

アールグレイをほとんど一気に飲み干したは、まだ引かないカカオの風味にいささかげっそりしながらも、気を取り直したようにハート型のチョコレートに手を伸ばす。上目で見た跡部はまだ口元に笑みを貼り付けていたから、憎らしかったけれど、直後口の中に訪れた幸せな甘みは、一連をどうでもよくするくらいの効力は持ち合わせていた。ふわ、と歓喜の溜息を浮かべたは、間髪入れず二つ目を口に運ぶ。

「やっぱり勿体ないですよ、会長…こんな極上に旨い代物達をみすみす炎の中へぶちこむなんて…宝石を便器に投げ込むようなもんですよ?」
「お前の比喩はいつもとんでもねえな!?」
「表現力が豊かと言って下さい!」
「ったく、別にいいだろ?何も…」

が三つ目のチョコレートを口に放り込んだ刹那、跡部が急に言葉を詰まらせる。はほんの一瞬首を傾げたけれど、そんなことよりチョコレートが美味しくてたまらないので、ひとまず跡部の紅茶に手を伸ばした。

「あ、頂いてもいいですか?」

きょとんと見上げてくるを見て、跡部は、自分がどれだけ恵まれた立場か露ほども理解してない目前の女に少々苛立った。ちやほやされるのが常套的な跡部にとって、はひどく異色で奇抜で鮮烈である。だから、目をかけてしまうのは致し方ないと言うのが跡部の陳腐な弁明で、それは、他の誰にでもない自分に対してのものである。

「……で?」
「…あん?」
「…別にいいだろ?何も、なんですか?」
「…一応、聞く気はあったんだな?」
「もちろんですよ、そんな薄情じゃありません!」

ふうん?と跡部は何故かたしなめるように言って、ついには箱の中に残る最後のチョコレートに指をかける。

「何も、お前のが混ざってたわけじゃあるまいし?」

ぴくり、と指を震わせたは、チョコレートを掴むのを少し躊躇う。視線をチョコレートから跡部へ移動させると、そこには、いやに勝ち誇ったような、涼しい笑みを浮かべるいつもの姿がそびえたつように控えている。

「どうした?食べねぇのか?」
「い、いや、食べます、食べますよ?」
「また俺様が食わせてやろうか?」
「え、遠慮しときます」

途端瞳を逸らしたに、フン、と鼻を鳴らして、跡部は自らのジャケットの胸ポケットに手を滑り込ませる。なんだか、脂汗が滲んで仕方ないけれど、は、跡部の挙動に敏感にならざるを得なかった。まさか、よもやと思ったけれど、跡部の胸元からはいやに見覚えのある、スカイブルーの紙が飛び出して、はいよいよ青くなった。

「か、かいちょ」
、顔色が悪いぜ?」
「な、な…ん、捨て…」
「『出所の判んねぇもんは』って言ったよなぁ?」
「名前なんて、書いてませんよ!?」
「お前の字なんて、見馴れた俺様には一発でわかんだよ、バーカ」

迂闊だった。あのチョコレートの山から自分のチョコレートを見つけ出すことはおろか、文字を判別することまでしてのけるとは夢にも思わなかった。友人に託されたチョコレートたちの中につつましやかに忍ばせておいたのチョコレートは、無記名の手紙こそついていたものの、自分だとわかる手がかりはないに等しかったし、焼却処分の話を聞いたときは、終わったな、まあ仕方ないなと落胆しつつ、どこかしら安堵を含んだ気持ちで自分を慰めていのに。はチョコレートそっちのけで赤くなった自分の顔を抑えると、ひい、と叫んで跡部の足元に蹲る。

「すみ、すみません、出すぎた真似を…!」

頭を抱えながら、は跡部の爪先をじっと見つめている。穴があったら入りたいと言うのはまさにこのことで、今すぐ跡部から姿の見えないどこかに消えてしまいたかった。手紙には、短いながらも身震いするほど恥ずかしいことが書いてあったはずだけれど、思い返したくもない。

「今まで出過ぎなかったことがあったか?オラ、立てよ
「い、いやです、いくら会長の頼みでも、それは」
「…立ちやがれ、命令だ」

低い声(ドスを利かせた、とも言う)で物申されて、はしぶしぶ立ち上がる。それでも、その瞳を見ることは不可能で、は跡部のネクタイピンをじっと見つめている。そして跡部は、それが不服だった。再び、チョコレートに向かって緩やかに伸ばされる、節ばった左手。は跡部の挙動を見る余裕などなくて、視界の脇で何かが動いた、くらいにしか考えられていなかった。すると刹那、唇に何か覚えのある感触が寄せられて、は思わず跡部の顔に瞳を遣った。そこには、矢張り傲慢そうな笑顔が貼り付いていて、それが決して嫌いじゃない自分は、負けている気がしてとても悔しい。今度口内に押し込まれたチョコレートは、それはもう甘くて美味しかったけれど、味わっている余裕も持てないほど、は動転している。そして何故、跡部の指先は自分の口元から離れないのか。

「…来月は殆ど来れねぇからな」
「…ああ、そ、そう…ですね」
「だから、こうしてお前如きに時間を割いてやったんだ、ありがたく思えよ、
「か、会長…」
「…アーン?」
「指、どかして下さいませんか?」

親指で下唇を撫ぜられて、後頭部がいやに粟立つ。羞恥の上塗りをされすぎて、なんだかもうよくわからないけれど、とりあえずこの人から離れないと、どうにかなってしまいそうだ、心臓が。

「それが『卒業しても、いつまでも想って』いる男に対して言う台詞か?」
「ひっ…!か、会長の馬鹿―――――っ!大馬鹿――――――っ!」

指先を振り払い、給湯室にかけてゆくの後姿を、跡部はさも満足な瞳で見つめていた。多分、2杯目の紅茶は蒸らしすぎでさっきより少し苦いはずだ。



 


20130220 アフター・ザ・フェスティバル